本棚のすき間

読書・書店・学校図書館についてのあれこれ

学校司書の仕事についてまじめに考えてみたけど考えれば考えるほどわからなくなった話

小学校の図書館で働きはじめて、やっぱりそうなんじゃないかと思ったことがある。

学校の司書をやっているひとは、たぶん、みんな子どもに本に親しんでもらいたい、とか、子どもが本を好きになるように、とか願って、毎日仕事をしているんだと思う。

もちろん、自分もその中の一人だし、それがどれほど難しく、どれほどやりがいのあることかということもわかっているつもり。

 

子どもたちの中には、こちらがなにかするまでもなく、そもそも本が好きで、積極的に図書館に来てくれる子もいる。

そういう児童に対しては、すでにその子が持っている本の世界をどれだけ広げられるか、という感じで、まだ知らない作者を紹介したり、それまでとは全然違うジャンルの本をおすすめしたり、ということがある。

 

逆に、その子に面白い本を教えてもらい、勉強させてもらうこともよくある。

子どもの頃にあまり本を読んでこなかった自分なので、毎日図書館に通っている子たちにはまるで敵わない。

それに、今の子どもたちがどういうものを求めているのか、っていうのは、今の子どもたちの姿を見るしかないので、そういう意味でも、本を読むのが好きという子たちの趣向を知るのは大事。

 

 

それで、問題はそれとは真逆にいる子たち。

本を読むのがべつに好きじゃない。好きとかきらいとか、そういう感覚を持たないほど、これといった興味がない。

そういうタイプの子どもももちろんいるわけで。

 

小学校には図書の時間が各クラス週に一時間ずつあって、そういう子たちも週に一度は図書館に来ることになる。

なにを借りたらいいのかわからずにうろうろしてばかりの子もいれば、いつも同じような(まるっきり同じ本の子もいる)本を借りてばかりの子も。

 

困っている、という感じの子には、いろいろと話をしながら、それならこの本なんてどう? とか、そういう読書支援ができるんだけど、そもそも、本を読むのが好きじゃないし図書館でしずかにしていること自体苦手、という子もいる。

上手くやれば、その子の好奇心を満たしてあげられる本をおすすめすることができる。もしくは、とりあえず、とにかくなにかの本を読ませてその時間をなんとかやり過ごす、ということもできるんだろうと思う。

 

でも、子どもたちの姿を見ていると、果たしてそれは正しいことなんだろうかという気がしてくる。それが、学校司書としての役割、なんだとしても。

 

自分が子どもの頃全然本を読まなかった、せいなのかなあ。

 

その子にはその子なりに、今はそれをする必要がある、ということがある。サッカーをしている子や、ピアノを練習している子、友だちと鬼ごっこをしている子やひとりで絵を描いている子。

たとえばだれかを休み時間に図書館に来させる、ということがあるとしたら、その子はその時間鬼ごっこをすることはできない。その子にとって、本を読むということよりも必要かもしれない、友だちとのコミュニケーションの時間。

 

そんなことを言いだしたら、なにもできない気もするけど、でも、必ずしも、子どもを図書館に来てもらうようにしたり、本を読んでもらうようにしたりすることが、一番良いことではないような気がしている、きょうこの頃なのです。

 

今は読書が好きじゃなくても、いつかどこかのタイミングで、読書が一番の趣味になる、ということもあるかもしれない。

そしてそれは、その子がそれまでにしてきた人生のいろいろな経験があったからこその、目覚め、ということも。

 

たぶん、そういうこともあるんだと思う。

自分がそうだったように。