『くらやみのゾウ ペルシャの古い詩から』
ミナ・ジャバアービン:再話 ユージン・イエルチン:絵 山口文生:訳
評論社

くらやみのゾウ―ペルシャのふるい詩から― (児童図書館・絵本の部屋)
- 作者: ミナジャバアービン,ユージンイェルチン,Mina Javaherbin,Eugene Yelchin,山口文生
- 出版社/メーカー: 評論社
- 発売日: 2018/01/20
- メディア: 大型本
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あらすじ
大金持ちの商人であるアフマドが、遠くインドからなにかを連れ帰ってきた。
それはとてつもなく大きくて、ふしぎな生きもの。
そのうわさはたちまちのうちに村じゅうに知れわたり、みんな、アフマドの家の蔵の前に集まった。
けれど、疲れているアフマドはねむくてねむくてしかたがない。
村のみんなは、自分たちで勝手に蔵の中にもぐりこんだ。
小さな穴から、ひとりずつ。
すると、あるひとは「ヘビみたいな生きものだ」と言うし、あるひとは「木のみきみたいに、丸くて背が高い」と言う。
ほかのひとたちも蔵にもぐりこみ、暗やみの中で、そのふしぎな生きものにさわる。
でも、同じようなことを言うひとはだれもいない。
みんな、それぞれに、違ったことを言う。
いったい、どうしてだろう……?
感想
ひとは自分で触ったその感触が、なにより正しいと思うのだろうし、ほかのひとの言うことに頑として耳をかさない、ということがままある。
それはある意味では、自分を持っている、ということにもなるのだけど。
でも、それだけが正しい、と思いこむというのがいかに危険で愚かなことかというのを、この絵本は教えてくれる。
だれも目にしていない真実を前にしたときに、人々はなんと言うのだろう。
自分は間違っていなかった! と主張するひともいるだろうし、あなたの言っていたことも正しかったのね、と反省するひともいるかもしれない。
多くのひとの目に触れるものに、同じようなことはよくある。
それぞれの感じ方によって、自分のものとは異なる意見を排除しようとする、という傾向。
小説にしても音楽にしてもなんにしても、ファンが増えるとアンチがわいてくる、というのにちょっとだけ似ているような気もする。
自分が正しいと思っていることも、実は、暗やみの中で触っているだけの感覚から来るものに過ぎないかもしれない。
なんにでも、明かりをともせればいいのに。
そうして、だれの目にも明らかななにか、を共有できれば、それが一番。
でも、そうもいかないものがたくさんあるから難しい。
くらやみの〇〇であるから、成り立っている。そういうものもある。
子どもにも、頭の固い大人にも読んでほしい一冊。
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