先日、家から歩いていける距離にある、イタリアンレストランに行ってきた。
パスタと、ふだんあまり飲んでいないお酒も。
ピザも食べたいということで、マルゲリータを頼んでシェアすることに。
シャンディガフがあるお店はそれだけでもう高評価なのだけど、しらすとキャベツのペペロンチーノはほどよく辛く、しらすの塩気が効いていて美味しかったし、マルゲリータももちもちとした生地が耳まで美味しかった。
ペペロンチーノは撮り忘れました。
わりと小食なもので、これだけですでにけっこうな満腹感。
でも、カルーアミルクを頼んでいたので、お酒だけをちびちびと飲むのもなあと。
それで、日替わりのドルチェ的なものがあり、それを食べようかなというので、じゃあこちらも何か食べたい、ということでメニューをぱらぱらと。
あんまり、これが食べたい! というのがないタイプなんだけど、ときどきふいに訪れる、芋を食べたい欲が急にあふれてきた。
で、メニューを見てみると、フライドポテトの文字が。
これはぜひ、と思う気もちと、でもこのお腹の状態からフライドポテトなんていけるんだろうか、という気もちでせめぎ合いがはじまる。
ドルチェは何があるんですか? と店員さんに質問すると、フレンチトーストとアイスとブランマンジェと。
どれにする? ときいて、自分はフライドポテトがやっぱり食べたくなったので、「じゃあフライドポテトと」と言うと、店員さんの表情が一気にくもった。
こいつ、なに言ってんだ? という顔。
そういうのって、言わなくてもかなり伝わってくる。
「フライド……ポテト?」
「はい、フライドポテトをひとつ」
まだ、困惑した表情。
たしかに、ドルチェの話をしていたはずなのに、いきなりフライドポテトを注文されたら、そりゃ混乱するかもしれない。
フレンチトーストとフライドポテトを聞き間違えているんじゃないかと疑いたくなる気もちもわからないでもない。
それとも、料理を食べたあとにさらにフライドポテトを食べるなんてどうかしてる、それにここはイタリアンだぞわかっているの? という意味なんだろうか。
それについては、賛否両論あると思う。
居酒屋でも、もうみんなお腹いっぱいあとはアイスくらいしか要らない、というタイミングで、フライドポテトや唐揚げなんかを頼んでしまう、そういうことがある。
でも、それは、アイスなら入るというのと同じような感覚かも。
急に芋の口になってしまうことって、ないですか? そうですか。私はあります。
それで、向かいの席で「アイスクリームをひとつ」と声がすると、はっとしたように店員さんは我に返り、キッチンにもどっていった。
そんなこんなで、なにかとてもおかしいことをしてしまった気分で、フライドポテトを待っていたのだけれど、出てきたものを見て、おやっ、と思った。
想像していた形と違う(ちょっと食べた後に写真を撮ったので、本当はもっとありました)。
ころんとしていて、かわいい。
口に入れると、表面はぱりっとしていて、中はほくほくのとろとろ。
バジルソルト的なものの香りと塩気が効いている。
ほくほくしているのが舌にあたると熱い。
でも、美味しいので、次から次へと食べてしまう。
いままでに食べてきたフライドポテトの中では、かなり上位。
一位といってもいいくらいの衝撃。
だって、お腹はもう満腹に近い状態で、そこから食べられるというのはかなりのハンデを背負っているようなものなのに。
頼んだときのもやもやも、これで帳消しに。
それどころか、あれを乗り越えたからこそたどり着くことができたのではなかろうか、などとわけのわからないことを思いながら、芋を堪能した。
ちなみに、そのお店では小皿にケチャップが入っていたのだけれど、個人的には、マヨネーズをつけて食べたい派。
なにも付けなくても、いい。
どちらの方が人気なんだろう。
それ以外にも、これを付けて食べるのが最高、というのがあればぜひ教えてください。
最近出たヨシタケシンスケさんの新刊で、『それしかないわけないでしょう』という絵本があるんだけど、いろんな二択があるなかで、きっと、選択肢はほかにもあるはずだ! っていう部分がある。
フライドポテトを何につけて食べるのか、というのも、まさにそれ。
ケチャップとマヨネーズ。
それしかないわけないでしょう。
タバスコとか、わさびとか、タルタルソースとか。
好みの問題でしかないのだけど。
書いてたら、フライドポテト食べたくなってきた。