小中学校で給食の完食を指導・強要されたことがきっかけで、不登校や体調不良になったなどの相談が多数寄せられた、という話をニュースで見かけました。
程度にもよるのでしょうが、いたましい話です。
小学生だった頃の苦い思い出がいろいろとよみがえってきました。
私自身、給食の時間がとても苦手な子どもでした。
小食というのもありましたが、果物を食べることができない、というのが大きな要因です。
ある時期から、果物を見ると、ぞっとするようになりました。
嫌悪感が身体じゅうを走り、苛々してきます。
においをかぐのもだめ。
いまでもそうですが、スーパーなどで、青果売り場を通るときには息をとめていないと気もちが悪くなります。
大げさに言うと、へびがきらいな人が、へびを見てしまったときのような感覚だと思います。
そんな生きにくい身体なので、給食の時間は地獄でした。
果物はだいたい、週に一度は出ていたような気がします。
多いと、三日とか。
アレルギーという言葉にいまほど敏感な時代ではなかったのだと思います。
おそらく、俗に言うアレルギーではないのでしょう。
それより幼かった頃は食べていたので。
でも、アレルギーではない、とはっきり出てしまうのがこわかったのかもしれません。
なので、アレルギーの検査をしには行きませんでした。
給食の時間、果物が自分のトレイにのっているのを見るのもいやでした。
ましてや、おかずのお皿のサラダだとか、お肉だとかと同じスペースに置かれていると、もうそのおかずたちも食べられません。
果物が当たっている、と考えると、気もち的に無理なのです。
基本的にはいつも、クラスのだれかが食べてくれていました。
だいたい、みんな、果物のことが好きなようです。
だから、だれももらってくれない、ということはほとんどなくて、むしろ、いつもひとり分果物が余ってラッキーという感じだったのかもしれません。
そうして、友だちにあげるというスタイルでやっていたはずなのに、給食にりんごが出たある日、先生が「ひと口でいいから食べなさい」と言いだしたことがありました。
ばかじゃないの、と思いました。
ひと口でも食べたくない、食べられないから、いつも友だちに食べてもらっているんだろう、と。
「むりです」と言ったように思います。
でも、その日の先生はかたくなでした。
「ひと口でも食べるまでは、片づけてはいけない」と言って、はなれていきました。
いまの自分だったら、かじったふりでもしてさっさと片付けてしまえばいい、と思うのですが、そこは、まだ純粋な小学生。
たぶん、4年生か5年生だったのかな。
ひと口だって食べられないのだから、片づけられない、と、当時の私は、みんながごちそうさまをした後も、ずっと、席についていました。
サッカーをしに校庭に向かう子、廊下でおしゃべりを楽しんでいる子、食器やボウルなどを片付けに行く子。
ざわざわとしていた教室も、やがて、静かになりました。
職員室に行ってしまったのか、先生もいつの間にかいなくなっていました。
席についているのは、じぶんひとりだけ。
トレーの上には、一切手をつけていないりんごがぽつん。
さわるのだって、いやでした。
周りの子たちがしゃりしゃり言わせながら食べていたのも。
お昼休みの間じゅう、座ったまま、時計の針が動いていくのをながめたり、黒板に書き残された四時間目の算数の問題に目をやったりしていました。
音楽がスピーカーから流れ、掃除の時間がはじまりました。
教室掃除の子たちが迷惑そうにじぶんの机をよけながら掃除をします。
まん中の列の、後ろの方の席だったと思います。
ほこりが舞い、ぞうきんのにおいが鼻をついてきます。
泣きたくなってきましたが、涙は流れませんでした。
ただ、目の奥の方が熱くなって、しだいに、どうしてこんな目にあわなければいけないんだという憤りに近い感情でいっぱいになってきました。
そのうちに先生が戻ってきて、「まだ食べてないのか」と言いました。
「食べられません」と私がこたえると、「じゃあ、もうなめるだけでいい」と先生はあきれたように言います。
鳥肌を立てながら、りんごを持ち、その先っぽをなめるふりをしました。
先生は、たぶん、すぐそばで見ていたのでわかったはずです。
でも、トレーを持って教室を出ていく私になにも言いませんでした。
掃除中の廊下を歩き、階段を下り、給食室に向かいます。
悔しい気もちと、あきらめに似たなにかがあふれてきました。
ほかのだれも覚えてはいないでしょうが、私だけは、一生覚えているできごとです。
その担任の先生のこともきらいになりましたし、給食のこともよりきらいになりましたし、果物のことももっときらいになりました。
違うやりようがあった、といまでは思いますが、当時の弱いじぶんにできる、せめてもの抵抗がそれだったのです。
書いていて、ため息が出てきました。
いろんな子がいて、認め合おう、というようなことを言っているのに、食べられないものはただの好ききらいなのだから食べろ、というのはなぜなのでしょう。
そりゃあ、なんでも食べられるにこしたことはありません。
けど、だからといって。
逆上がりができない子どもに、できるまでやらせる、というと体罰感があると思うのですが、それとさほど違わないのではと思ってしまいます。
もちろん、食べたくないものはどんどん残せばいいというわけではありません。
どうしても無理、ということは、絶対にあると思うんです。
ちょっと、というか、かなり話はそれますが。
子どもたちの読書においても、完読という概念があります。
本を借りたら、おしまいまでとにかく読みましょう、というような指導をされている司書や先生は、多くはないでしょうが、ときどき、そういう話をききます。
読書は自由な娯楽である、と以前の萌え絵の記事で書きましたが、完読しなければいけない、という制約を課されたとたん、全然、自由な娯楽とは別物になってしまいます。
借りる本借りる本、途中でやめてしまうというのを危惧して、という意味もあるんでしょうけども、それは、その本がその子にとって面白くなかった、というだけのことです。
最後の方まで読めば面白くなってくる、と言ったりするひともいますが、最後の方まで読まなければ面白くない、という時点でだめでしょう。
大人だって、読みはじめたはいいけど、面白さがわからなく、でも、せっかくだから最後まで読み通す、ということがあるかと思いますが、たいていはそういう読書はすぐに頭から抜けていきます。
子どもにそんな読書をさせてはいけません。
面白いと思う本を読めばいいのです。
そうして、いろんな本にふれているうちに、それまでは面白くなかった本が面白く感じられるようになったりするのですから。
また脱線しましたが、完食指導の話についての実体験でした。