初めて通った学習塾は学研だった。
友だちに誘われて見学のつもりで行ってみると、体験入塾のような形でプリントをやらされ、そのまま、月曜日のこの時間に、といった感じで、あれよあれよとその後のことが決まっていった。
家に帰って親に話すと、寛大な親だったけれどさすがに怒られた。
いまなら、塾の月謝がそんなに安いものじゃないということもわかるし、送り迎えという問題もあるし、そりゃそうだとも思う。
結局、通わせてもらえることにはなった。
その学研は小学校と自宅のちょうどまん中辺りにあって、ガレージを通った先にある、赤くところどころ錆びた外階段は歩くとカンカン音がした。
二階に上がると、緑色のごわごわしたマットがしいてある。
くつの汚れをそこで落として、戸を開ける。
ドアじゃない。
横に開けるタイプの、がらがらいうやつ。
教室は狭くて、長机が六つあるだけ。
窓が二ヶ所にあって、片方の窓にはガムテープが貼られていた。
教室長はおばさんで、大仏のような頭をしていた。
かすかに紫色がかっていたような気もする。
ハリセンボンの春菜をかなり老けさせたようなイメージ。
丸いめがねをかけていて、そういう形のめがねというのはやさしそうな印象が何割か増しに見えるはずなんだけど、教室長は眼光がするどく、そういう効果はちっとも得られていないようだった。
いつもどっしりと座っていて、慌てている姿を見たこともないし、驚くべきことに、笑っていた顔は、一度をのぞいて見た覚えがない。
そんなことってあるんだろうかとも思うんだけど、笑顔が思い出せないのだから、もしかしたら、あるのかもしれない。
初めての塾だから、当時は全く疑問にも思わなかったけど、なんだったんだろう、あのスタイル。
まず、その日にやらなければいけないページを指定されて、黙々と解いていく。
ぜんぶできたと思ったら、教室長の机の所まで行って、そこにふたつ置いてあるうちの、右のカゴにドリルを入れる。
そうすると、教室長が答え合わせをしてくれて、答え合わせが終わったドリルは、左のカゴに入れられる。
生徒はじぶんのドリルが左のカゴに入れられたのを見計らって、ドリルを取りにいく。
のだけれど、その目測を誤ってまだ答え合わせが終わっていないのにカゴの中をがさごそあさっていたりすると、教室長にぎろりとにらまれる。
戻ってきたドリルの、間違っているところを席でまたせっせと解く。
算数だったので、計算問題とかで、つまずく。
じぶんじゃどうにも先に進めなくなり、そうすると、教室長の所にいって、ここがわかりません、と言う。
教室長は丸いめがねをくいっと上げる。
首を若干傾けて、目を細める。
そして、生徒を値踏みするように見上げ、
「ここの式が違ってる」
とか言う。
こうすればいいとか、ここではこう計算してみようとか、そういうことは一切言ってくれない。
ただ、間違えているところの原因を言うだけ。
それで、またじぶんの席に戻って、もう一度その問題にチャレンジする。
でも、どうしても解けない。
また教室長のところに行くのいやだなあ、と思っていると、友だちがすっと立ち上がって、ドリルを持って歩きだした。
友だちも、答え合わせをされて〇が付かなかった問題に再挑戦していた。
頑張って、やっと解けたのだと思った。
でも、教室長の机の前まで行くと、友だちは「ここができません」と言った。
教室長は「さっきも言ったでしょ、ここが違ってるの」と言って、手元のドリルに赤いペンで〇を付けていく。
友だちは、立ったまま、なにも言わなかった。
戻ってきて、またじぶんで考えてもどうにもならないとわかっていたのか、教室長にヒントの一つでももらおうかと待っていたのか。
「ここ、どうやって計算するの」
教室長にきかれ、友だちはなおも黙りこんでいた。
「やってみないといつまでたってもできるわけないでしょう」
教室長がイライラし始めているのは、その場にいた全員がわかった。
でも、みんな、じぶんのドリルと向き合うだけで、えんぴつが走る音だけが教室のなかに響いていた。
そこに、違う音が混じった。
それは友だちがすすり泣く声だった。
ズッズッ、と、鼻をすすっては「わかりません」と友だちは言う。
後ろから見た背中が震えていた。
生徒が泣きはじめても、教室長はびくともしない。
むしろ、わたしは間違ったことはしていない、という雰囲気をより強め、「どこがどうわからないのか、言ってみなさいよ」などと言う。
それがわかって、言語化できる子どもなら塾になんて行かなくていい、といまなら思うだろうけど、当時は、恐怖だった。
じぶんも、どうしてもわからない問題に当たってしまったら、あんな風になってしまうんだ、と。
実際に、教室長の机の前で、長いこと立っていた記憶はある。
泣いてしまったこともあるような気がしないでもないけど、もしかしたらそれは作られた記憶の可能性も。
その日のノルマ(!)が終わると、無事に帰ることができる。
親に迎えを頼むときには、当時はスマホはおろか携帯も持っていなかったので、教室の電話を借りるしかない。
入口の、低めのげた箱の上に、ピンク色の電話があった。
いまではもうほとんど見かけない、ダイヤル式の電話。
その電話を使わせてもらうためには、十円を電話の前に置いてある箱に入れなければいけなかった。
電話代もきっちり回収するがめつさ、と言えないでもないけど、まあ、経営がそこまで上手くまわっていなかったのか、少しでもむしりとってやるという気もちからだったのかはわからない。
友だちと運よく同じタイミングでドリルを終えられた時は、一緒に教室を出た。
友だちの方が少し勉強が苦手だったので、よくじぶんの方がなにかをしているふりをして、席に座って待っていた。
でも、そういうごまかしはあの教室長には全然通用しなかった。
「終わったなら出ていきなさい」
威圧するような声でそう言われ、「外で待ってるわ」と友だちにひそひそ声で言って、教室を出ることの方が多かったかも。
教室を出ると、農作業用の道具を置いておくような納屋があって、その裏でよく、ドリルのはじに描いた教室長の似顔絵をちぎってかくしていた。
友だちと、どの似顔絵が一番似ているかを競ったりしながら、納屋と石の間にはさんでおいた。
ある日、友だちと同じタイミングで帰れた時に、集まった似顔絵から一番を決めようということになり、納屋の裏に回りこんでみたのだけど、どこにもない。
探しても、探しても、見つからない。
風でどこかに飛んでいってしまったのかとも思ったけど、もう五年生だったからそんなことにはならないように石で囲むようにして置いてあったはず。
あーあ、と言いながら、納屋の裏から道に出ようとして、からだが凍りついた。
教室の窓から、教室長がこちらを見下ろしていた。
あれが最初で最後だったと思う。
教室長は、笑っていた。
その次の週、教室をやめた。
というのを、この小説を読んで思い出した。
『みかづき』
小学校の用務員室で子どもたちに勉強を教えていた吾郎が、千明という女性にからめとられるようにして塾の世界に入っていく。
塾というのがまだ一般的でなかった時代から、現代まで、ふたりが立ち上げた塾の変遷と、その一家の辿った紆余曲折の物語。
教育に携わる人というのは、こういう確固たるビジョンを持っているものなのか、とか、塾の経営に関してどこまで理想を追い求めていいものなのか、とか、いろいろと考えさせられるところの多い作品だった。
考察とかもっとちゃんとした感想とか書いていると長くなりそうなので、それはまた今度、気が向いたら書くとして。
初めて通った学研はどうしようもない場所だったけど、その後入った塾は素晴らしいところで、そこのおかげで、第一志望の高校にも入学することができた。
あの教室長はときどき、道ばたやスーパーで見かけるけど、当時とそれほど変わっていないように見えた。
でも、ちょっとだけ、髪の紫色が濃くなっていたような。
塾については、またいろいろと書きたいと思う。
とりあえず、今日はこの辺で。
それではまた。