本棚のすき間

絵本や小説、図書館についてなど、本全般について書いています。

『犬も食わない』尾崎世界観・千早茜【書評】素晴らしい一冊でした。

『犬も食わない』

『犬も食わない』

尾崎世界観・千早茜

新潮社 

犬も食わない

犬も食わない

 

 

「今までに本気で誰かを好きになったことって、二回だけで」

七月の休日のグラウンドには他に誰もいなくて、どうしてそういう話になったのかは、ちっとも覚えていない。

朝礼台は触ったら危険な熱さで、でも、だからこそ触りたくなった。

「それが、いつ?」

「小学生の時と、高校一年の時」

この会話をしている今、高校二年の夏だった。

 

「そっちは?」

きかれて、とっさに答えた。

「中一と高一の時かな」

嘘だった。

今が一番好きだった。

でも、そう言うのは負けなような気がして、くだらない見栄を張って何かを守ろうとしていた。

守ろうとしたその時にはすでにもう何かとても大事なものを失っていたことにも気づかないほどまぬけで滑稽で、きらきらしていたあの頃。

「好きってなんだろうね」

嘘をついて誤魔化せたと思っていたけど、次第に、こっちは嘘だけど向こうの言葉は本当かもしれないという不安と、もしも嘘だったとしてもどうしてそんな嘘をつくのか全く分からなかったのとで、立っている場所が揺れている気がしてきた。

 

付き合っているけど、本気で好きじゃない。

 

そうは言われていないけど、言葉を理解する言語力と声をききとる聴力さえあれば誰でもわかるようなそんな答えをなるべく見ないようにしていた。

でも、刃物なんかがなくたって皮膚が切れるように、鋭い言葉がなくたって、十分人の心はずたずたになる。

嘘なんかつかなきゃよかった、と思った。

正直に言って、負けた気がしてもいいから、それでも、ちゃんとふり向かせようとするのがあの瞬間唯一の正解だったような気がする。

嘘で血が止まったためしなんかない、と思い出すのはいつも、血だらけになった嘘のかさぶたがぷらぷらぶら下がっているのを見ている時だ。

犬も食わない

犬も食わない

 

この『犬も食わない』を読んで、もう遥か遠くの、誰かのお話のように思える昔の恋人とのあんな会話を思い出した。

 

傷つけ合うために一緒にいるわけじゃない。

でも、一緒にいればいるほど素直になるのが難しくなって、簡単で単純な言葉も出てこなくなる。

傷つけられた分だけ相手のことを傷つけてしまえば、その分帳消しになって自分の傷が浅くなるとでも思っていた。

 

今作の大輔と福は付き合って同棲もしているけど、その始まりはあいまいでいつの間にスタートしたのかもわからない始まり方だった。

冒頭から、ふたりが出会う最低なシーンが描かれている。

でも、そこでは、お互いに最悪な印象を与え合っているのはよくわかるのだけれど、そこから、どう恋愛関係に発展していったのかは、具体的には書かれていない。

読者は、その部分がどうだったのか、気になりながら読み進めていくのだけれど、なかなか披露されない。

さぞ、素敵なきっかけがあったからこそ、あんな最低な出会い方をしたふたりが付き合うことになったんだろう、と思うのに、ちっとも触れられない。

 

でも、そこにあるはずのきっかけは、作品を読んでいくと、次第に、こちらが求めていたようなものでは決してないのだということが伝わってくる。

帯にも書かれているように、大輔は「だめな男」だし、福は「めんどくさい女」だから、というひと言で終わってしまっても、納得してしまうかもしれない。

 

でも、恋をしていて「めんどくさくない女」なんて見たことがないし、男はみんな「だめな男」の部分を隠しきれるはずがないのだと思う。

それに、男だってたいていめんどくさいし、女だってけっこうだめなところがあるんじゃないだろうか。

 

以前この記事で紹介した『ボクたちはみんな大人になれなかった』という作品に出てきた男女も、そういうところがあった気がする。

www.nahdaannun.com

でも、男女の関係性については、『犬も食わない』とは全然違っていた。

ちょうど近いタイミングで読んでいたので、そのイメージの違いを書いておこうと思うのだけど、たぶん、『ボクたちはみんな大人になれなかった』の男女は、ボクサーとセコンドみたいな関係性。

子どもの頃から、身長ばかりが高くなって、その実中身はちっとも成長していない自分を、セコンドの彼女は受け入れ、肯定し、次のラウンドに送りだしてくれる。

リングに上れば、ボクはぼろぼろになる。

でも、ぼろぼろになった分だけ、セコンドにいる彼女の言葉が沁みる。

そういうイメージ。

 

一方、『犬も食わない』の大輔と福はというと、どちらもボクサーで、お互いが対戦相手みたいな関係性。

抱き合いたいんだけど、でも、近づき方もわからないし、近づこうと思えば相手からはジャブが飛んでくる。

傷つけるつもりのないパンチが、相手の不用意な接近によってクリーンヒットとなって大きな出血をもたらすこともある。

パンチをもらいながら、傷つきながら、クリンチのような形で、やっと、不器用な抱き合い方にたどり着く。

ふたりは、それでも、相手がいるからリングに立つことができる。

グローブを付け、リングの上でなければ顔を合わせることができない、そんな感じの痛々しい関係なんじゃないかと思う。

 

 

個人的には、共感の声が止まらないくらい響いた一冊だった。

恋をして、相手の気持ちが思いどおりにこちらに向いてくれたとしても、それから、自分の言動をコントロールできない日が来る。

気持ちを言葉にするのに、色々削ぎ落として最低限の単語だけが残って、そう口にした途端に全部嘘みたいに聞こえてまるで伝わらない。

 

大輔と福ほど、ぶつかってこじれて絡まり合った針金みたいになった恋愛はしたことがないけど、どの恋愛にも覚えのある感情がちらほらと。

 

もう、本当によくわかる恋愛小説で、文庫化したらそれも買おうと思う。

クリスマスイブの夜に一番似合わない恋愛小説。

おすすめです。

 

それではまた。