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『みずいろのマフラー』書評【絵本】

『みずいろのマフラー』書評

『みずいろのマフラー』

くすのきしげのり:文 松成真理子:絵

童心社

みずいろのマフラー (絵本・こどものひろば)

みずいろのマフラー (絵本・こどものひろば)

 

あらすじ

なつやすみが終わったあとの九月に、ぼくらのクラスにヨースケが転校してきた。

ヨースケとおかあさんが暮らすアパートは、ぼくとヤンチの帰り道にあった。

それで、いっしょに帰るようになって、いっしょに遊ぶようになった。

 

ヨースケは力が弱かったし、走るのもおそかったし、算数も苦手だった。

 

帰り道にかばんを持たせたり、ぼくらがいやな役を押しつけても、ヨースケはちょっとkまったような顔をしながら、ぼくらの言うとおりにした。

 

それでも、ヨースケはいつもぼくらといっしょにいた。

 

十二月になったある日のこと。

ぼくとヤンチはいつものように、ヨースケが負けるまでジャンケンをして、ヨースケにランドセルをもたせて帰っていた。

すると、

「あなたたち、なにやってるの!」

という声。

ふり返ると、そこにはヨースケのおかあさんが立っていた。

 

「いつもこうやってかえるの? ヨースケは、あなたたちのことをともだちだって、いってるのよ!」

おかあさんの声はふるえていた。

 

なぜだかヨースケが「ごめん」と言った。

ぼくらは、「さよなら」とだけ言って、かけだした。

 

それから、ぼくらとヨースケはいままでのように遊ばなくなった。

ヨースケのことがきらいになったわけじゃなくって、ただ、どうやって遊べばいいかわからなかった。

 

ヨースケはひとりでいることが多くなり、そしてそのまま、冬休みになった……。

 

 

感想

子どもはだれに教わらなくたって、だれかと友だちになる術を知っている。

でも、時にその方法を間違えてしまうこともあるし、そのやり方でだれかを傷つけてしまうこともある。

 

この絵本のぼくとヤンチも、ヨースケという転校生との接し方を間違え、しかしながら幸いなことに、その過ちに気づくことができた。

でも、そのあとに続かない。

この絵本では、その、新しい行動を起こすことができる時間に何もできなかった後悔、というのが、後半のストーリーに大きく関わってくる。

 

子どもだって、大人と同じように後悔する。

言わなきゃよかったことやしなきゃよかったことで、頭の中がいっぱいになる日もあるだろうし、過去の自分を責めても責めきれない夜もある。

 

そうやって、きっとだれしもが大人になっていく。

そうした経験を、新しい一歩に活かせるということが「成長」するということなんじゃないかと、この絵本を読んで思った。

 

きっと、ぼくもヤンチも、もしも新しい友だちができそうになった時には、もう同じような過ちはおかさないだろう。

すんだみずいろの空を見上げるたびに、ヨースケのことを思い出すのだから。