本棚のすき間

読書・書店・学校図書館についてのあれこれ

【読み聞かせ】という言い方に対する様々な意見のまとめ

f:id:nahdaan:20181123232951p:plain

「読み聞かせ」という言い方について記事を書いた結果

www.nahdaannun.com

先日、こちらの記事を書きましたところ、ツイッター等で多くの方に反応していただき、様々なご意見をいただくことができました。

絵本作家の百聞百見

絵本作家の百聞百見

 

この、川端誠さんの『絵本作家の百聞百見』というエッセイ本の中に「読み聞かせ」という言葉はいますぐやめるべき、という旨を書いた章があります。

その言葉に含まれる「聞かせてやっている」というような上から目線のニュアンスが間違っている、という話です。

詳しくは実際に本を読んでいただきたいのですが、上の記事でもう少し内容を書いてあるのでご参照ください。

 

主にツイッター上の皆さまのご意見

賛否両論お待ちしています、という言葉を添えてみたところ、本当に賛成意見と反対意見がまっぷたつに分かれて寄せられました。

 

今回はそのご意見を賛成・反対・その他の三つに分けて、まとめてあります。

自分と同じような考えを持つ方もいれば、相反するような感じ方の人もいるかと思います。

そうした違いを知る、ということも、答えが出ない問題では、大事なことなのではないかなと思っています。

 

賛成は「読み聞かせ」という言葉には違和感があるので、別の言い方をすべき、という立場の意見です。

その他は、中立的な、どちらとも言えないようなご意見を集めています。

エアリプ等、集めきれなかったご意見もあるかと思いますが、ご了承ください。

 

賛成

・「よみ聞かせ」が一般的な言い方だから使っているだけで、変えてもいいと思う。

 

・読み聞かせという言葉に強い抵抗を感じる。が、世間の大方が気にならないという意見ならば気にしないようにと割り切ってきた。川端さんの意見に賛同。

 

・20年前、詩人の工藤直子さんも「読み聞かせ」という言葉に違和感があると仰っていた。中学校のボランティアでは「読み語り」と言っている。

 

・言われてみれば、という印象。意識している人はそう多くないと感じるが、無意識に上から目線になるというのは意外と問題だとも。言葉が思考に及ぼす影響は大きいと考えているため。今後「読み聞かせ」という言葉の使用をできるだけ避ける。

 

・「読み聞かせ」という言い方は好きではない。しかし、学校教育において浸透してしまっている。巷だけで変えるのではなく、国から言い方を変えさせないと大きくは変わらない。

 

・「読み聞かせ」に対する違和感は以前からあった。川端さんと全く同意見。ただ、「開き読み」は微妙。

 

・「読み聞かせ」という言葉は押しつけがましい。全くもってよくない。「開き読み」はピンとくる。でも漢字のわからない子のために「ひらきよみ」の方がいい。また代わりの言葉に「よもよも」はどうか。

 

・緩和策として「よ♡み♡き♡か♡せっ」と表記。子どもは「読んで~」と言うことはあっても「聞かせて~」とはまず言わない。

 

・「開き読み」という言葉はすごくいい。保育の世界で子どもに対し「〇〇させる」という使役の意識を持つべきではないという考えが広まっている。子どもを自立した一人の人間として扱うという意味でも「読み聞かせ」という表現は役割を終える時期なのかもしれない。

 

・10年程前にも「読み聞かせ」という言葉に関する議論があった。違和感に気づいている人は大勢いて、けれど割り切っている。

 

・以前から「読み聞かせ」という言葉は押しつけているようで、違和感があった。所属している団体では、読み聞かせは朝行くので「朝読み」と言っている。が、学校の認識は「読み聞かせ」。聞いている児童が押しつけられているように感じていなければいいが。

 

・「読み聞かせ」という言葉の居心地の悪さを感じているのは少数派で、そういう感覚の持ち主にとっては自明のことだが、そうでない多数派には論点が見えていない。

 

・「聞かせる」という言葉が与える強制する感じが、絶対に「おはなし会」とは相容れないと思う。神経質かもしれないが、個人的にしたいのは「読み聞かせ」ではなく「おはなし会」または「本の時間」「えほんのじかん」である。

 

・すごくわかる。学生時代からずっと「読み聞かせ」という言葉に違和感があり、絶対に使わなかった。「聞かせる」という言葉には、とにかく嫌悪感でいっぱい。

 

 

反対

・「読み聞かせ」のままでいいと思う。

 

・「開き読み」はしっくりこない。

 

・「読んで聞かせてやろう」というニュアンスは語り手の気構えの問題であって、言葉のせいではない。

 

・「聞かせ」という言葉に違和感や嫌悪感があるのは、むしろ過敏では。言葉ではなくその仕組みの問題なので、言葉狩りだと感じる。

 

・小さいころから「読み聞かせ」は「読んで聞かせる」ではなく、「聞かせてもらいながら読む」だと思っていたので、「聞かせ」という部分に違和感を持ったことはない。

 

・そもそも「開き読み」と言うのなら閉じて読むことはあるのか?

 

・聞かせてやるという意識は持っていないし、上から目線と感じたこともない。

 

・子どものころから「読み聞かせ」と呼んでいたのであまり違和感はなし。が、学校では「読み語り」が使われている。

 

「読み聞かせ」という言い方に関して全く違和感がなかった。が、言われてみると、その考え方もあるのかと。

 

・「読み聞かせ」が「読んで聞かせてやる」というニュアンスで認識している人間が仮にいたとして、「開き読み」と改めたらその人間の上から目線は是正されるのか? 主張が本質を突いておらず、言葉狩りと言わざるを得ない。

 

・人から人へ、読んで聞かせる、その行為そのものなので「読み聞かせ」でいい。

 

・本は「開いて読む」のが当たり前で、ことさら「子どもに本を読んであげる」意味に使おうというのは少々ムリ筋かと思う。

 

・「読み聞かせ」という言葉で、一般の(特におはなし会に参加してくれる)方々に、ぱっと何をするのかわかってもらえるのはありがたいこと。「開き読み」や「読み語り」にも違和感があるので、現状維持でいい。

 

・「読み聞かせ」はダメ、「開き読み」にすべきといった、べき論で争うこと自体が不毛。用語を定めず「絵本読むよ~」でいい気がする。

 

・正直言葉遊びの域を出ないと感じる。言葉を発する人の心の問題を文字で解決しようとしていないか?

 

 

その他

・「読み聞かせ」のように名詞化する必要はないのではないか。「絵本読むよ!」でもいい。

 

・12年前にも上から目線だから別の言い方にしようという意見があった。が、しっくりくる言葉がなく、そのまま「読み聞かせ」を使用。

 

・本を媒介に、お互いに至福の時を共有する時間や場所という本質があれば、用語にはこだわらない。

 

・一緒にお話の世界を楽しもう! というスタンスで読んでいる。文字にする時は「読みきかせ」と平仮名にして違和感を薄める。

 

・「読み聞かせ」という言葉自体に違和感はない。が、大人の自己表現の場になっているのでは? という疑問も。その現状には「読み聞かせ」が合っている。

 

・お腹の中にいた時から「読み聞かせ」をしていた。子どもに「読み聞かせ」と言うと違和感があるが、お腹にいた時には「読み聞かせ」だった。

 

・言葉は生きものなので、変わる可能性もある。大多数の人が「読み語り」「開き読み」を支持するようになれば変わるだろうし、定着した暁にはそれはそれとして使う。

 

・「読み聞かせ」に違和感があるという意見はわからなくもないが「開き読み」も変な言葉だなあと思う。本を読む時に開くのは当たり前だから、頭痛が痛い的な感じ。

 

・「読み聞かせ」は確かに上から目線の言葉。でも、単なる呼び名、単語。好きな言い方でいいが、それよりも、読んでいる人の想いが大切。

 

・読み聞かせをするけれど、貴方が受け取るかどうかは別、それで当たり前と考えているので、逆に「読み語り」や「開き読み」は責任回避的に思えて居心地が悪い。

 

・違和感はあるものの、他にちょうどいい言い回しもないし呼称に拘るのもなんか違うな~と。

 

・「聞かせる」という意識は改めるべき。だが、「開き読み」は「読み聞かせ」には取って代われない。

 

・何事においても、呼び方をいくら変えたところで、使っている側の意識が変わらなければ無意味では。読み聞かせに対する意識、意義を正しく知る機会を得てから言葉の問題に移った方がいいのでは。

 

 

まとめ

今回「読み聞かせ」という言葉についての記事を書いて、予想以上に多くの方の考えを聞くことができました。

私自身は、川端さんのエッセイを読んだ時には、確かにそういう考え方もあるか…という気もちと、そこまで敏感になる必要があるのか? という気もちのどちらもがありました。

 

はっきりと、「読み聞かせ」と言う言葉には違和感がある、という方の多くは、図書館や司書、読み聞かせボランティアやそれに関連した団体等と、より近い場所にいるのではないか、ということを思いました。

それは、裏を返せば「読み聞かせ」というものに強い関心や愛着があるということでもあるのではないでしょうか。

 

日常的に、或いは、仕事としてプライドをもっている方からすると、自分の意識や子どもの受け取り方といったことに敏感になるのは当たり前のことです。

それは、川端誠さんも、作者として、絵本の一番近くにいるという意味では同じです。

 

かといって、こだわりがない人たちがそれに反対している、というわけでもありません。

むしろその逆で、こだわりや愛着がある故に、「読み聞かせ」という言葉はそのままであるべきだ、という方も多くいらっしゃるようです。

 

コメントしてくださった方がいるように、「読み聞かせ」という言葉が含んでいる上から目線のニュアンスを言葉の問題としてとらえるのではなく、それを司っている人間の意識を変える方に目を向けるべき、というのが、本質なのかもしれません。

 

日頃、学校司書として日常的に読み聞かせをしている身としては、耳が痛い話です。

上から目線でやっているわけではもちろんありませんが、心の底から聞きたいと思ってそこに座ってくれている子どもはどれくらいいるだろうか。

この時間が苦痛と思いながら聞いている子はいないだろうか。

聞かされている、と思っている子はいないだろうか。

 

そんな不安が頭をもたげはじめます。

冬休みが明けたら、三学期が始まります。

三学期は蔵書点検もあるので、図書館の開館が一番短い学期です。

 

その残りの数ヶ月で、じぶんにできることは何か。

悔いのないようにやり切りたいと思いました。

 

今回、記事やツイッターにご意見をいただいた皆さま、本当にありがとうございました。

自分自身もいろいろと考えるいいきっかけになりました。

 

また、ここまで読んでいただきありがとうございました。

本を読んでいて気になったことは、今後も記事にしたいと思います。

 

それではまた。