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『花さき山』斎藤隆祐,滝平二郎 書評【絵本】

『花さき山』

花さき山 (ものがたり絵本20)

花さき山 (ものがたり絵本20)

 

『花さき山』

斉藤隆介:作 滝平二郎:絵

岩崎書店

 

あらすじ

おらは、ある山にひとりですんでいた。

おらのことを山んばというものもいる。

 

山んばはわるさをするとされているが、それはうそだ。

おらはなんにもしない。

けれど、山でなにか悪いことがあったら、みんなおらのせいになる。

 

そんなおらのいる山に、十才のあやという女の子がやってきた。

もうじき祭りで、その、ごちそうになる山菜をとりにきたんだろう。

 

ところが、奥へ奥へと来すぎてしまい、この山にまよいこんでしまった。

そうして、ここにいちめんの花があって、しかも、見たこともない花だから、おどろいているんだろう。

 

この花がどうしてこんなにきれいなのか、どうしてこうして咲くのか、そのわけは……

 

 

 

感想

じぶんのことよりもひとのことを想う、その、やさしさとけなげさというのは、だれしもが持っている心なのだと思う。

あるときまでは、なにも考えるまでもなく、そうした行動をとることができていたような気がするけれど、いつの間にか、その先にある見返りを求めるようになってしまっていた。

 

打算的なおとな。

じぶんにとって、得になるのであれば行動するけれど、そうでないのならば遠慮しておこう。

無意識のうちにそんな思考が頭の中でめぐる。

 

 

作品の中で、あやは、「いま、花さき山で、おらの花がさいてるな」と思う。

それは、じぶんでじぶんの言動をふり返る瞬間であるけれど、だからといってそこに打算的な感覚のにおいはない。

ただ、そう思うだけである。

 

その、ぶつ切り感がいい。

その後で、だからあやはよりひとのためを想って行動するようになった、とか、そういった話になってもおかしくないところを、この閉じられ方。

 

だからなに? と思うひともいるかもしれない。

もちろん、だからなに? で終わってもべつにいいと思う。

 

でも、だからなに? の先にあるなにかを探す余地があるということこそが、この絵本の魅力であり、醍醐味でもある気がする。

(あとがきで、作者がけっこういろいろ書いていたりもしますが)

 

八郎 (日本傑作絵本シリーズ)

八郎 (日本傑作絵本シリーズ)

 
三コ (日本傑作絵本シリーズ)

三コ (日本傑作絵本シリーズ)

 

同じ作者・絵の『八郎』と『三コ』という作品を読んでいると、より楽しめる一冊。

滝平二郎さんの、余白でなく余黒とでも言いたくなるような、版画の独特な表現もいい。

押しつけがましくない、ただ、この山に咲いている花というのは、そういうものである、というような作品にぴったりで、読みながら頭の中がしんと静まりかえる。

モチモチの木 (創作絵本6)

モチモチの木 (創作絵本6)

 

『モチモチの木』もいいけれど、こちらもぜひ。

癖になる暗さ。

 

 

それではまた。