先日、三年生のとあるクラスの図書の時間に、こちらの本を読み聞かせしました。
つもり、という話が収録されていて、貧乏だけど絵を描くのが得意な男が主人公です。
彼はふとあることを思いつきました。
それは、家じゅうに白い紙を貼って、そこに、家具などの絵を描けば、お金持ちの気分になれるだろう、というものです。
つまり、そこに色々なものがある「つもり」というわけです。
豪華なだんろを置いたり、戸棚にはケーキを入れておいたり。
シカの頭だけのはく製に、その横には、そのシカをしとめた銃をかけておいたり。
そうして、完成したお金持ちっぽい部屋で寝ているところに、どろぼうがやって来ます。
どろぼうは、こんな豪華な家はなかなかないぞと早速手をつけますが、どの品物も触れようとすると、するり、と手がすべってしまいます。
ありゃりゃ、なにかおかしいぞと思ってよく見てみると、すべて白い紙に描かれた紙なのです。
面白いことをする奴だなあ、と思ったどろぼうは、それならこちらもと、持っていくことのできない品物を、ふろしきにつつんだつもり。
ぶつぶつとしゃべりながら盗んでいくつもりをやっているどろぼうに気づいた主人公は、目を覚ますやいなや、かべにかかっている銃をつかんだつもりの動きをします。
そして、どろぼうを撃ったつもり、でどーんとやります。
どろぼうもどろぼうで、撃たれたつもりでウウッとうめいて倒れます。
そこまで、つもりにならなくてもいいのにね。
というお話です。
図書の時間に読み聞かせをしていると、反応のいいクラスとそうでもないクラスというのが出てくるのですが、このお話を読んだクラスは、どのクラスよりも反応がいいと言っていいクラスでした。
そういうクラスって、とても読み聞かせしやすいんですね。
で、ちょうど、先週はそのクラスにお邪魔して給食を食べていました。
「先生、怖い話して」
と、近くにいた女の子に言われました。
こういうお願いって、けっこうされます。
図書館司書で、怖い本のおすすめもよくしていたりするので、怖い話も知っていると思っているのでしょう。
でも、私は怖い話からはだれよりも遠い場所にいたい人間なので、そういう本を読みもしないし、人から聞いたりもほとんどしません。
なので、家族からちらっと聞いた話をするくらいしかできませんでしたが、それでも、子どもたちはけっこう興味しんしんで聞いてくれます。
そうしたら、今度は近くにいた別の子が、
「先生、落語やって」
と言いました。
その日読んだあの落語の話がとても面白かったそうなのです。
この上なくうれしい話ではありますが、落語やってと言われてできるほど、落語は楽なものではないでしょう。
それでも、上の記事でも書きましたが、私はけっこう落語が好きです。
落語ができるようになりたい、と思ったこともあります。
そんなわけで、その班の前で、読み聞かせをした本に載っている別のお話をやってみたのですが、全然落語になりません。
当たり前です。
そんな練習は一度たりともしていないですし、そもそも、やろうと思っていきなりできるわけがないのです。
なんだか、こう、お話のあらすじを読んでいるような感じになってしまい、あの、いつも反応のいい子どもたちもぽかんとした顔。
「今度、読み聞かせでするね」
と言ったら、「やってやって!」とうれしそうにしてくれたので、ひとまずほっとしました。
読み聞かせという形でやった方がいいに決まってるんです。
でも、落語っぽくやりたい、という気もちも……。
落語って、本当はこんなに面白いものなんだということを伝えられたらうれしいですし、それで、落語に興味を持つ子どもが現れてくれたら……。
じぶんはいったい何を目指しているんだろう?
ふと我に返ると、そんなことを思います。
でも、落語と図書館というのはかなり相性がいいと思うんです。
読む物語と聴く物語。
残りわずかな三学期のなかで、一番いい形を探してみたいと思います。
進展があったらまた記事に書きます。
それではまた。