『うたえなくなったとりとうたをたべたねこ』
『うたえなくなったとりとうたをたべたねこ』
たなかしん:絵・文
竹澤汀:歌
求龍堂
あらすじ
ふるぼけたいえのふるぼけたまどから、ただ、そとをながめているとりがいました。
「だって、もううたえないんだから。きもちいいかぜをかんじてもね」
と、とりはおもいました。
いつもとりのうたをききにきていたねこがいました。
とりにとびかかろうかと思いましたが、「うたわないとりなんて、うろこだけのさかなとおなじさ」と思って、やめました。
さようならとねこはいいましたが、それからもまいにちとりのもとへやって来ました。
「きみはうたえないんじゃなくてうたわないんじゃないかい?」
「そうかもしれないわね。だってあなたはどんどんわたしのそばへきて、わたしのうたをのこさずたべてしまったんですもの」
「うたをたべただって?」
……とんだかんちがいだね、とねこは小さくつぶやいて、ひょいっとまどからとびおりました。
もう二度とねこはやって来ないだろうととりは思いましたが、翌日、ねこはきれいなびんをくわえてきました。
次の日になると、ねこはカメラのフィルムをくわえてきました。
また次の日になると、今度はねこは、はりがねをくわえてきました。
それがちえのわだということは、知りませんでした。
毎日、毎日、ねこはとりが見たこともないようなものをもってきました。
そして、そのたびに、それらのものに関するものがたりをかたりました。
とりはうずうず、ざわざわと、いまにも飛び出しそうでした。
……でも、とりにはもう、うたうことはできませんでした。
だって……
感想
タイトルからして、ちょっとというかかなり独特です。
モノトーンな色合いで、常にさみしさと切なさが漂っているような雰囲気を醸し出しながら、物語は進んでいきます。
やさしいような、でもどこか不穏なこの感じ、明示されていないのにそこにあるということだけはわかる、たしかな喪失感。
これはいったいなんだろうと考えてみたんですが、おそらく、あれです、小川洋子さんの短編小説を思わせるのでした。
『薬指の標本』や『妊娠カレンダー』なんかがお好きな方にぜひ読んでみていただきたいのですが、なかなか、絵本が好きで、小川洋子さんの小説も好きという方にお目にかかったことがありません。
とりにとって、うたうということはどういうことだったのか、そして、ねこにとって、とりがうたえなくなったということがどういうことだったのか。
そこにある痛みのことを考えると、胸がつまります。
でも、正直に言って、まだこの絵本のぜんぶを消化しきれていないような気もします。
読み込みたくなる絵本って、たまらないですよね。
子どもの側に立ってみると、もっと親切であるべきという意見もあるかもしれませんが、私はこういう絵本は大好きです。
とりがうたえなくなった、その理由とはいったいなんだったのでしょう?
そして、ねこはなぜ、様々なものをとりのもとに持ってきていたのでしょうか。
小説が好きな方にも、絵本が好きな方にも、そしてどちらも好きな方にも全力でおすすめしたい一冊でした。
それではまた。