本棚のすき間

読書・書店・学校図書館についてのあれこれ

子どもたちが自分でテーマを決めて本で調べるとこうなる

調べ学習のために、四年生のクラスが図書館に来た。

興味のあることについて研究するということで、子どもたちはそれぞれにテーマを決めて、本を使って調べるという、とてもシンプルな調べ学習。

 

バイオリンの歴史とか、砂の種類とか、火山についてとか、ゲームのこととか。

こういうのって、子どもの内面がはっきりと出て楽しい。

                       

一番強かった戦国武将を調べたい、という男子がいて、いろいろと武将関連の本を紹介したら、「城を建てた人が強いのでは」という結論に至ったらしい。

お城の本を紹介すると、「築城者っていうのが、お城を建てた人でしょ? じゃあ、これが一番多かった人が一番強いんだ」と興奮した様子。

 

その男子は普段、友だちとけんかしたり、ぎゃあぎゃあ騒いだりと、なかなかにかき乱してくれる子だったのだけど、築城者を調べ始めたとたんに集中して、かなりてきぱきとその数を調査していた。

好きなことを調べるのって、やっぱり子どもも楽しいんだろうな。

 

その、お城の数が一番強い証かどうかはともかくとして、そうやって、気になったことを調べて、データを出して、考えてみるっていうのは大事なことだと思う。

 

それは違うよ、と言ってしまうことは簡単で正しいことなのかもしれないけど、あんまりしたくない。

 

 

こまったのは「人間の最初の人の名前を調べたいんですけど」とか「地球がいつ終わるのか知りたい」とか、なかなかぱっと答えの出ないものたち。

 

地球がいつ終わるのか、わかったらパニックだよなあ、とか思いながら、宇宙・天文系の本を紹介するも、その子が求めているような答えは載っておらず。

 

余談だけど、伊坂幸太郎さんの『終末のフール』という作品を高校生の頃に読んでおもしろかったのを覚えている。

終末のフール (集英社文庫)

終末のフール (集英社文庫)

 

地球のおわりの日がわかってから数年後の仙台の話で、もうその頃にはパニックの状態を越えて、ぶきみに落ち着いているイメージが頭に残っている。

また読み直そうかな。

 

それから、森絵都さんの『永遠の出口』という小説の中で、主人公が友だちだったかな、同級生だかに、この地球もあと数十億年後には太陽にのみこまれてなくなる、という話を聞いて衝撃を受ける、というシーンがあったのを思い出した。

永遠の出口 (集英社文庫(日本))

永遠の出口 (集英社文庫(日本))

 

自分も、けっこうショックだった。

今必死に残そうとしているものや、大事にしているものなんかがもれなくすべて、消え去るというのがはっきりしていることが。

 

もう、ありとあらゆる物事が無意味にすら思えたくらい。

 

でも、そんなことを言ってもはじまらないというか、なんにもならないので、それならばむしろ今楽しいと思えることを大切にして生きた方がいいんじゃないか、という気もちにもさせてくれた作品。

 

 

ということで、地球の終わりについて研究したがっている子どもにその二作品をおすすめしたいくらいなんだけど、ちょっと趣旨が違うのでそれはまたいつか。

 

THE調べ学習という感じの授業を久しぶりに見たので、なんだか嬉しくなってしまった。

 

パソコンで検索すればたいていのことがわかってしまうこの時代。

図書館の本を使って何かを調べる、ということの意味や意義を理解してくれている先生たちはどれくらいいるんだろう。

 

どこも忙しいから、そんな時間をとるのも難しいんでしょうね。

それは、当然と言えば当然。

やらなきゃいけないことがどんどん増えていく。

 

だから、先生やクラスにそうした図書館での調べ学習を推奨、或いは本で調べる力を子どもたちにつけさせるのは図書館独自でもやっていかなければいけない部分もあるんだと思う。

 

しかも、授業的に「やらされる」感覚で行うのではなく、子どもたちが自ら調べたくなるように、(言い方は悪いけど)仕向けて。

楽しいっていうのが、やっぱり子どもにとっては大事。

もちろん、大人だってそうなんだけど、大人は楽しくなくたってやらなきゃいけないことがたくさんあるし、そういうもんだってみんな割り切れるから。

 

子どもたちが楽しめるようにといろいろ考えて図書館運営をしてきたけれど、実際のところ子どもたちからしたらどうなんだろう。

前の先生の時と比べて、というようにしかなかなか比較はできないんじゃないかな。

他の学校図書館のことなんて、ぜったい知らないし知ることもできないし。

 

「前の先生のときよりイベントがたくさんあって図書館が楽しい」

そんな風に子どもが言ってくれたことがあった。

 

その声に背中を押されて、今の自分がいるのは間違いない。

 

 

また、とりとめのない話になってしまった。

今日はそんな日。

 

 

それではまた。