百人一首を覚えたい。
そう思い、もう何年経つことか。
小学生や中学生の頃に、力を入れて覚えるということをしておけばよかったのになと思うのだけれど、時すでに遅し。
それで、いろいろと本を買ったり、立ち読みしたりもしたのですよ。
でも、その一瞬は覚えようという気になるも、次第になんとなくなあなあに。
いつかはという気もちではいつまで経っても覚えないことは明白なので、そろそろ本気で覚えたい。
そこで、このブログを利用してちょこちょこと覚えていきたいと思います。
百人一首を第一首から学ぶ(1・2)
以前にこの本を買っていたので、主にこちらの内容をもとに書いていきます。
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
天智天皇
訳
収穫期の田んぼに立てられた仮小屋は屋根の苫の目がとても粗く、私の袖は夜露で濡れていくばかり。
百人一首の第一首目ですね。
天智天皇は626年生~672年没。
天智天皇と言えば、中大兄皇子時代に大化の改新にて、中臣鎌足とともに蘇我入鹿を暗殺した人です。
解説
「かりほの庵」は「仮穂の庵」。
収穫期、農民たちは臨時の小屋を造り、そこに寝泊まりをし、作物が獣に荒らされないように見張ったといいます。
その小屋を「仮穂」と呼んでいた。
「苫をあらみ」の「苫」は茅などで編んだ筵のことで、「あらみ」は目が粗いことを表現しています。
つまり、「仮穂の庵」は、編み目の粗い苫で屋根を葺いただけの粗末な小屋だったということ。
だから、「衣手は露にぬれつつ(衣が露で濡れていく)」のであったのです。
農民の苦労を詠った歌ではありますが、また別の解釈もあるそうです。
それは、農民の苦労を思って、天智天皇が涙を流し、それゆえに衣が濡れた、というものだそうです。
『万葉集』にある、詠み人知らずの「秋田刈る 仮蘆を作り 我が居れば 衣手寒く 露ぞ置きにける」という歌が元となり、それが改作されて天智天皇の歌として伝わったとも言われているとのこと。
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山
持統天皇
訳
いつの間にか、春は過ぎて夏が来たらしい。あの天香具山にまっ白な衣が干してある。
持統天皇は645年生~703年没。
天武天皇の后で、第41代天皇。
藤原京の造営、戸籍の作成などを行いました。
解説
「天香具山」は奈良県橿原市にある山で、耳成山、畝傍山とともに大和三山を為しています。
天から降りてきたという伝承が残るために、名前に点がつき、三つの山の中で最も神聖視されていたそうです。
その天の香具山に翻っているのが「白妙の 衣」です。
もとはカジノキやコウゾの皮の繊維で織った白い布を「白楮」と呼び、それが転じて白妙と呼ぶようになりました。
この「白妙の 衣」が示すものについては、昔から盛んに議論が行われているようです。
衣替えの衣が干してある説、神事に使う衣を神聖な天の香具山で浄化している説、ヤマユリや辛夷の花を比喩したという説などがあります。
こちらも万葉集に元歌があり、そちらは「衣ほしたり」という完了形なので、衣が干されているのは天香具山とは限らない、という見方も。
干した衣の向こうに天香具山が見えたのでは、という解釈もあるそうですね。
最初の二首はなかなかに地味な(と言うと怒られてしまいますね)歌でした。
でも、やはり解釈がいろいろとあるというのが個人的には楽しいです。
この調子で、100首の意味を学びつつ、覚えていきたいと思います。
それではまた。