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【百人一首】を第一首から学ぶ(7・8)

百人一首を第一首から学ぶ(7・8)

 

七首目

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

安陪仲麿

 

大空をはるか遠くまで見わたせば、東の空に美しい月が見えます。

あの月は、ふるさとの春日にある三笠山に出ていた月と、同じ月なのでしょうか。

 

 

安陪仲麿は698年生~770年没。

遣唐留学生として、唐へ。

そこで、役人となり、玄宗皇帝に気にいられて朝廷に仕えました。

中国を代表する詩人・李白や王維とも親交がありました。

 

 

解説

この歌を詠んだ安陪仲麻呂は、若くして優れた学才を発揮し、19歳で唐へ渡りました。

遣唐留学生として、唐の都・長安で学んだ彼は、中国の官僚登用試験である『科挙』に合格します。

こうして役人となった仲麻呂でしたが、皇帝からあまりに気にいられたため、同時期に唐へやって来た吉備真備や玄昉らが帰国の途につく中、彼だけは唐を離れることを許されませんでした。

 

その後も、仲麻呂は唐朝の諸官を歴任。

35年に渡って唐で暮らし、50歳を過ぎてようやく帰国が認められました。

その際に催された送別の宴で詠まれたのが、この歌だとされています。

 

「天の原」は広々とした空のこと。

「ふりさけ見れば」は遠くを眺めるという意味で、「春日なる 三笠の山」は、奈良県・春日大社周辺の山を指します。

 

かつて故郷で見た月と重ね合わせることで、溢れんばかりの望郷の念を歌にしたということでしょうか。

数十年ぶりに帰国できることになったその感慨深さがにじみ出ています。

 

しかし、期待に胸をふくらませた仲麻呂を乗せた船は、日本に向かう途中で遭難してしまいます。

そのまま、唐の領内である安南(いまのベトナム)に漂着し、再び長安へと戻ることになってしまったのです。

結局、仲麻呂は祖国の地を再び踏むことなく、唐でその生涯を閉じました。

 

 

 

 

八首目

わが庵は 都のたつみ しかぞ住む 夜をうぢ山と 人はいうなり

喜撰法師

 

わたしの住まいは、都より東国にあって、ごらんのように、心おだやかにくらしています。

けれども世間の人々は、わたしが世の中をつらいと思って、宇治山に逃れ住んでいると思っているようです。

 

 

喜撰法師は六歌仙のうちのひとり。

宇治山に住んでいたということのほかは、詳しいことはほとんどわかっていません。

 

解説

作者である喜撰法師は、都から離れて宇治山で暮らしていました。

そのことで、人々は「喜撰法師は、世の中をつらいとか案じて宇治山にこもっているのだ」と噂していたのです。

「宇治」と「憂し」とかけて「うぢ山」と読み、山暮らしに対する世間のイメージを表現しています。

 

好き好んで、しかも心穏やかに山暮らしをしているのに、自分のあずかり知らぬところで勝手に広がる噂に呆れかえっている様が感じられます。

 

また、「たつみ」は東南の方角を指し、都から見た宇治山の位置を示しています。

 

ちなみに、平安時代、方角は十二支を使って表していました。

東西南北360度を十二等分し、北を「子」とし、右回りに「亥」までを順番にあてはめると、盗難は「辰」と「巳」のあいだになるため、「たつみ」と呼ばれているのですね。

小学生おもしろ学習シリーズ まんが 百人一首大辞典

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