本棚のすき間

絵本や小説、図書館についてなど、本全般について書いています。

学研の『世界遺産事典』で世界遺産について学ぶ

学研の『世界遺産事典』で世界遺産について学ぶ 

学習まんが 別巻 世界遺産学習事典 (学研まんがNEW世界の歴史)

学習まんが 別巻 世界遺産学習事典 (学研まんがNEW世界の歴史)

 

今回はこちらの本を読んで学んだことをまとめた記事となっております。

とり上げた世界遺産は三つです。

世界遺産に興味がある方や、ちょっと勉強したいという方はぜひどうぞ。

 

アブ=シンベル神殿

f:id:nahdaan:20190209102845p:plain

Wikipediaより引用


世界的に価値のある遺跡や建造物、自然を、人類共通の遺産として守るために、1972年のユネスコ総会にて、世界遺産条約が採択されました。

そのきっかけとなったのが、エジプトにあるヌビアの遺跡群の危機でした。

 

ヌビアというのは、エジプト南部からスーダン北部にかけての地域。

ここには、アブ=シンベル神殿をはじめ、フィラエのイシス神殿、カラブシャ神殿などがあります。

 

1960年、ナイル川の氾濫対策と水力発電のために、エジプト南部にてアスワン=ハイ=ダムの建設がはじまりました。

工事によって、これらの神殿が水没してしまうことを知ったユネスコが、エジプト政府の要請で遺跡の保護を世界各国に訴え、エジプト政府と協力し、1964年から神殿の移転事業をはじめました。

 

アブ=シンベル神殿は、小さなブロックに切り分けられ、近くの高台に移されました。

この大がかりな事業がきっかけとなり、世界遺産条約が生まれ、世界に広まっていったのです。

 

 

・ラメセス(ラメス)2世がたてた神殿

ヌビア遺跡の中心であるアブ=シンベル神殿は、前1260年ごろ、新王国時代の第19王朝の王、ラメセス(ラメス)2世がつくりました。

王のための大神殿と王妃のための小神殿のふたつがあり、神殿は岩山をほってできた岩窟神殿になっています。

 

大神殿の入り口には、4体の王の座像があります。

この座像は高さ約22メートルもある巨大なもので、4体ともラメセス2世本人をあらわしたものとみられています。

また、神殿内部の壁には、ヒッタイトと戦ったカデシュの戦いでのラメセス2世が描かれています。

 

 

また、アブ=シンベル神殿のほかに、ナイル川のフィラエ島にも、紀元前4世紀~前3世紀にたてられた女神イシスをまつる神殿があり、こちらの神殿もダム建設による水没をさけ、ナイル川のアギルキア島にうつされました。

のちに、神殿を移築された島はフィラエ島と改名もされています。

 

 

 

ハットゥシャ

ããããã¥ã·ã£ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

Wikipediaより引用

 

 

まず、「ヒッタイト」は、前17~前13世紀にかけて、アナトリア(小アジア)に栄えた王国です。

古代のオリエントでは、エジプトやバビロニアとならぶ強国の一つと言われています。

 

ヒッタイトは、世界で初めて鉄器を使用するようになった国で、鉄製の武器と馬にひかせる戦車などを使って、周辺の国々を征服しました。

 

そのヒッタイトの首都がハットゥシャです。

現在のトルコの首都アンカラの東約200キロ、アナトリア高原にある小さなボアズキョイという村の近くにあります。

 

ハットゥシャは、二重の城壁で囲まれ、王宮や貯蔵庫、城塞の外につながる地下道、「獅子の門」「王の門」などといった門や、太陽の女神マリアンナをまつった神殿が見つかっています。

その他、岩肌に帯状のレリーフがきざまれたヤズルカヤ神殿が残っています。

 

 

また、城塞の内側では、楔形文字がしるされた多数の粘土板が見つかっています。

その中には前13世紀にヒッタイトのムワタリ2世がラメセス2世と戦ったカデシュの戦いの後に結んだ和平条約を刻んだものがあり、同じ内容のものが、エジプトのテーベにあるカルナク神殿でも見つかっています。

 

アナトリアを支配したヒッタイトでしたが、前1200年ごろ、「海の民」と呼ばれる集団からの侵略を受け、それ以前から王族の内紛や食糧危機などがあったこともあわせ、滅んでいったとみられています。

 

 

 

モエンジョ(モヘンジョ)=ダーロ

ãã¢ãã³ã¸ã§ãã­ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

Wikipediaより引用

 

 

モエンジョ(モヘンジョ)=ダーロはインダス文明を代表する都市遺跡で、1922年、インド人考古学者により発見されました。

現在のパキスタン南部、インダス川下流域にあり、その広さは約1.6km四方です。

 

この都市では、道路が直角に交わり、市街は碁盤の目のようになっています。

さらに、建築物は高温で焼いてできたレンガで作られ、下水道が整備され、水洗トイレもありました。

都市の東側はレンガづくりの家が立ち並ぶ市街、西側は「城塞」と呼ばれる地区で、大浴場や穀物倉庫、集会所などの建築物のあとがのこされています。

 

遺跡からは、印章や、ろくろで作られた彩文土器など、様々なものが発見されています。

また、のちのヒンドゥー教の主神であるシヴァ神の原型や牛の像なども見つかっています。

 

 

この街からは、高度な都市計画と、それを支える技術などがうかがえますが、ほかの都市遺跡にあるような、壮大な神殿や王宮、墓などは見つかっていません。

そのため、インダス文明には、強大な権力者は存在しなかったのではないかと考えられています。

 

前2300年ごろから最盛期を迎えたこの都市ですが、前1800年ごろに滅亡してしまいます。

しかし、その原因はまだよくわかっていません。

 

 

まとめ

三つの世界遺産をとり上げてみました。

児童書扱いの書籍ですが、なかなか勉強になります。

 

こうした話を小難しい文章で読むとなると、すぐに眠くなってしまう自分としては、子どもにもわかる平易な文章で書かれているこういった本の方が読みやすかったりもします。

 

知らなかったことを知る、というのは楽しいことです。

現在はもっぱら百人一首を深く知りたいという欲求が強いのですが、世界遺産等についても、ちょこちょこと勉強していきたいなと思います。

お読みいただきありがとうございました。

 

 

それではまた。