百人一首を第一首から学ぶ(15・16)
15首目
君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ
光孝天皇
訳
あなたにお渡ししようと思い、早春の野で若菜を摘む私の衣の袖に、雪がしきりに降りかかってきます。
光孝天皇は830年生~887年没。
第58第天皇。
55歳で即位した遅咲きの天皇でした。
解説
歌の「若菜」は、春の七草に象徴される食用の野草のことです。
当時「一月七日に若菜を食べて悪いことからまぬかれる」という風習がありました。
現在にも伝わる「七草がゆ」ですね。
平安時代の宮中では、若菜を使った熱いお吸い物を天皇に献上する儀式が正月の年中行事として行われていました。
それが、のちに民間にも広がっていきました。
この歌は、光孝天皇がまだ時康親王だった頃、大事な人の長寿を願って摘んできた野草に添えた歌だといわれています。
が、若菜摘みは女性の役目であったため、男性で、しかも高貴な身分である作者が自分で若菜を摘んだとは考えられないという説があります。
そのため、この歌は想像で詠まれたものだともいわれています。
55歳で即位した光孝天皇は宮中行事を再興する一方、自身の生活は質素倹約を旨としていました。
16首目
立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば いま帰り来む
中納言行平
訳
あなたと別れて因幡へ行くが、稲葉山に生える松のように、私の帰りを待っていると聞いたなら、すぐに帰ってこよう。
中納言行平は818年生~893年没。
平城天皇の孫で、在原業平の兄。
解説
優秀な役人だった中納言行平が因幡(現在の鳥取県)への赴任を命じられ、送別の宴で詠んだ挨拶の歌といわれています。
「いなば」は「因幡」と「往なば(行くけれど)」の掛詞で、「まつ」は「待つ」と「松」にかけられています。
また、赴任先にある稲葉山は、当時松がたくさん生えていることで知られていたため、作者はその「松」に「都で待っていてほしい」という意味を掛けています。
ちなみに、行平は須磨(今の兵庫県)に流されたことがあり、それが『源氏物語』の須磨の巻のモデルになったともいわれています。