百人一首を第一首から学ぶ(17・18)
17首目
ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 から紅に 水くくるとは
在原業平朝臣
訳
不思議なことが多く起こっていた神代の世にも、こんなことがあったとは聞いていない。
龍田川が鮮やかな紅の絞り染めをしているなんて。
在原業平朝臣は825年生~880年没。
平城天皇の孫で、阿保親王の五男。
兄・行平たちとともに臣籍降下して在原氏を名乗ります。
美男子の代名詞として扱われ、『伊勢物語』主人公のモデルとされました。
解説
希代のプレイボーイとして有名な在原業平が書いた和歌です。
『伊勢物語』には、帝の妃、伊勢斎院を勤めた内親王といった高貴な女性との秘密の恋模様が描かれており、全部ではないにしても、何割かは業平の行状が反映されたとみられています。
その業平ですが、和歌にもすばらしい才能を持っていました。
舞台となった龍田川は、奈良県の斑鳩周辺を流れる川で、昔から紅葉の名所として有名でした。
まず、「ちはやぶる」は「神代」の枕詞です。
「神代も聞かず」で「神々の時代にも聞いたことがない」という意味になります。
「から紅」は唐国から渡ってきた鮮やかな紅色の染料で、「くくる」は「括り染め(絞り染め)」のことです。
これで「龍田川が鮮やかな紅色で括り染めしたような水」になります。
擬人法、倒置法、見立てとかなり複雑なテクニックを使った歌となっています。
実はこの歌は、実際に龍田川の紅葉を見て書いたものではなく、屏風歌のようです。
屏風歌とは、屏風の絵に合わせて歌を付けることです。
この屏風歌は、長寿や成人を祝う場、屏風を新調したときなどに詠まれることが多かったようです。
詞書には、二条の后(清和天皇の女御)の屏風に付けたものだと説明されています。
ちなみにこの二条の后、本名を藤原高子といい、業平とは昔駆け落ちまでして、はげしく愛し合った女性だそうです。
そしてこれが原因で、業平の出世が遅れたという話もあります。
18首目
住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ
藤原敏行朝臣
訳
波が「寄る」という言葉ではないが、なぜあなたは夢の中でさえ私と会ってくれないのでしょう。
藤原敏行朝臣は出年不詳~901年または907年没。
優れた歌人であると同時に、すぐれた書家でもありました。
が、心をこめて写経を行わなかったため、地獄に落とされてしまった、というエピソードが『宇治拾遺物語』に書かれています。
解説
平安時代の人々にとって、夢というのは、現実の延長線上にある世界でした。
恋人が夢の中にたくさん登場するのは、相手の想いの強さの表れなのだと考えられていたのです。
この歌は、岸に打ち「寄る」波から、「夜」のイメージを引き出し、現実世界のみならず、夢の中でも会いに来てくれない恋人への嘆きを詠っています。
というのは、当時、男性が女性の家を訪れるのがふつうだったことをふまえ、女性の気持ちを読んだ歌ととらえた解釈です。
一方、男性の立場で考える見方もあります。
そちらは「なぜわたしは人目を気にしてしまうのだろう……」と悩む、複雑な恋心を詠んだ歌として味わうこともできる、という解釈の仕方もあるようです。
「夢の通ひ路」とは、好きな人の夢のなかへと向かうときに通る道のことです。
これは藤原敏行朝臣の独自の表現で、この歌が詠まれるまでほかには見られませんでした。