百人一首を第一首から学ぶ(25・26)
25首目
名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで 来るよしもがな
三条右大臣
訳
「逢う」という名を持つ逢坂山。
その名に背かないのなら、人知れずあなたに会う方法はないものか。
三条右大臣は873年生~932年没。
藤原定方の別名です。
京都・三条に住んでいたことからこう呼ばれました。
中納言朝忠の父。
いとこの中納言兼輔とならんで、当時の和歌の世界で中心的な存在だったといわれています。
解説
人目を忍ぶ恋の歌です。
「逢坂山」は山城国(京都府)と近江国(滋賀県)の間にある山を指し、その名前から「逢ふ」との掛詞になっています。
「さねかづら」はモクレン科の蔓草のことで、「小寝(さね)(一緒に寝ること)」との掛詞、なおかつ、「逢ふ」の縁語にもなっています。
ここまでをまとめて現代語訳すると、「逢うという名前を持つ逢坂山と、小寝という意味を持つさねかづらが、その名に違わないのであれば」という意味になります。
続く「人に知られで」は「他人に知られないで」の意味です。
「来るよしもがな」の「くる」は、「来る」と「繰る」の掛詞で、「人が来ること」と「蔓を手繰り寄せること」を同時に表現しています。
後半部分は「さねかづらの蔓を手繰り寄せるように、人知れずあなたのもとに行く方法はないものか」と現代語訳できます。
公にはできないけれど、どうにかして恋人に会いたい、という気持ちがあふれているのが伝わってきます。
26首目
小倉山 峰の紅葉 心あらば いまひとたびの みゆき待たなむ
貞信公
訳
小倉山の峰の紅葉よ。
もしお前に心があるのなら、もう一度天皇がおいでになるまで、散らずに待っていてほしい。
貞信公は880年生~949年没。
藤原氏繁栄の礎を築いた実力者。
解説
紅葉を人に見立て、散らないでほしいという願望を詠った歌です。
『拾遺集』の詞書によれば、宇多上皇が大堰川に御幸した際、小倉山の見事な紅葉を我が子の醍醐天皇にも見せたいと言ったのを受けて、貞信公が詠んだとされています。
小倉山はもともと、「小暗い山(おぐらいやま)」とされた場所でしたが、貞信公の歌によって、紅葉の名所へと変わったそうです。