百人一首を第一首から学ぶ(27・28)
27首目
みかの原 わきて流るる 泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ
中納言兼輔
訳
みかの原を左右に分けて流れる泉川。
その泉川の「いつ見」
ではないけれど、いったい、いつ見たということで、こんなにも恋しいのか。
中納言兼輔は877年生~933年没。
本名は藤原兼輔で、紫式部の曽祖父にあたります。
三十六歌仙のひとり。
解説
平安時代の恋愛は歌によって始まりました。
男性は気になる異性に歌を贈り、女性は歌のセンスや時の美しさから想像をめぐらせ、それを基準に恋人を選びます。
なので、交際が始まるまでは、お互いに顔を合わせることはありませんでした。
つまり、顔も知らない相手に恋心を抱くというのも、当たり前のことだったのです。
この歌も、未だ見ぬ相手への想いを詠った歌です。
当時、都で噂になっていた若狭守の姫への恋心を綴った歌とされています。
「みかの原」は枕詞。
甕を埋めたところから水が湧き出たとの伝承があります。
その後に続く「わきて」は「湧き」と「分き」の掛詞になっていて、水が湧き、大地を分けるように流れている様を表しています。
それと同時に「いづみ(泉)」の縁語にもなっています。
また、「泉川」と「いつ見き」という同音をくりかえしているのもポイントです。
意味を強調する修辞法ですね。
28首目
山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれると思へば
源宗于朝臣
訳
山里は冬にことさら寂しさが強く感じられる。
人の訪れもなくなり、草木も枯れてしまうと思うと。
源宗于朝臣は生年不詳~940年没。
光孝天皇の直系の孫で、臣籍降下されました。
「寛平后宮歌合」などの参加。
解説
源宗于朝臣は、光孝天皇の皇子である是忠親王の息子です。
臣籍降下されて源氏の姓を賜りますが、あまり官位が上がりませんでした。
『大和物語』にはそのことを宇多天皇に嘆く話も載っています。
ある歌合で宇多天皇に「沖つ風 ふけゐの浦に 立つ浪の なごりにさへや われはしづまぬ」(沖から風が吹いて吹井の浦に波が立ちますが、海松のような私は海底に沈んだままです)とアピールするも、「意味が分からない」とスルーされてしまったという悲しい話です。
そういった背景を知ると、この歌もよりもの悲しく聞こえる気がします。
「冬ぞ寂しさまさりける」の「ぞ」は強調の助詞で、「他の季節も寂しいけれど、冬が一番寂しい」という意味になります。
「かれ」は「枯れ」と「離れ」の掛詞。
「思へば」で結ぶのは倒置法を用いており、最初の「山里は~」に続き、主題の「寂しさ まさりける」を強調しています。