本棚のすき間

読書・書店・学校図書館についてのあれこれ

【百人一首】を第一首から学ぶ(35・36)

百人一首を第一首から学ぶ(35・36)

 

35首目

人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける

紀貫之

 

あなたの心変わりはわかりませんが、昔なじみの里では、梅の花だけが昔と同じく香っています。

 

 

解説

当代随一の歌人として知られる紀貫之の作品です。

この歌だけではわかりにくいのですが、作者が編纂した『古今和歌集』の詞書に、歌のシチュエーションが書かれています。

いわく、貫之が長谷寺に参詣する時に必ず泊まる家があったそうです。

しばらく足が遠のき、久しぶりに訪れた際に家の主人が「このように、家は昔のままでありますのに(あなたは心変わりしたのか、ずいぶんご無沙汰ですね)」と言いました。

そのため貫之は辺りの梅を一枝折って、この歌を詠んだということです。

 

下に打消しの語を伴った「いさ」は「さあ、どうだろうか~ない」という意味になり、「知らず」と呼応して「さあ、どうだろうかわからない」となります。

わからないのは、ここでいう「心」=あなたの気持ちです。

古典では「花」は桜を示すことが多いですが、この歌では、詞書から梅だと推測されます。

 

昔なじみの宿の主人のちょっとした嫌味に、貫之らしい風雅な返しをした、そういう歌なのです。

そしてこの主人が女性か男性かという問題ですが、歌を贈り合う親しい関係や移ろいやすい心を詠んでいることから、恋仲だったとも考えられ、女性だという説もあります。

 

紀貫之は866年生~945年没。

醍醐天皇の命で『古今和歌集』を編纂。

『土佐日記』の作者でもあります。

 

 

 

36首目

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ

清原深養父

 

夏の夜は短いので、宵かと思ったらもう夜明けだ。

月もどこの雲に宿をとって休んでいるのやら。

 

 

解説

「雲のいづこに 月宿るらむ」は月を擬人化した手法で、夏の夜が短すぎて西の空への移動が間に合わないだろう月を案じているとも揶揄しているともとれます。

「まだ宵ながら」の宵は、現在でいう午後7~9時頃のことです。

「~ながら」は「~ままで」という意味なので、「まだ宵のままで」と思っていたら、「明けぬる(明けてしまった)」のです。

 

月が西に沈み切れずに雲のなかにかくれている、というユニークな表現で、夏の夜の短さを嘆いた歌となっています。

 

月は一般的に秋の風物詩とされていますが、深養父は「月宿る」という表現を使って、夏の夜の美しさを詠みました。

面白いのが、作者のひ孫である清少納言もまた、『枕草子』で「夏は夜、月のころはさらなり」と、夏の夜の月を風流なものとしてとらえていることです。

 

 

清原深養父は生没年不詳。

平安時代中期の歌人で、清少納言の曽祖父にあたります。

紀貫之と親しく交流していた歌人で、琴の名手でもありました。

ひとりでできる 小倉百人一首 読み上げ機付き

ひとりでできる 小倉百人一首 読み上げ機付き