本棚のすき間

読書・書店・学校図書館についてのあれこれ

【百人一首】を第一首から学ぶ(39・40)

百人一首を第一首から学ぶ(39・40)

 

39首目

浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき

参議等

 

まばらに茅が生える野原の中の篠竹ではないが、あなたへの想いはもはや忍ぼうにも忍びきれない。

 

 

解説

抑えようにも抑えきれない気持ちを、背丈の違う2種類の植物に喩えて詠んだ恋の歌です。

『古今和歌集』にある「浅茅生の 小野の篠原 しのぶとも 人知るらめや 言うひとなしに(心の中に想いを忍ばせていても、あの人は知ってくれるだろうか? いや、知ってはくれないだろう。伝える人がいなければ)」という歌から本歌取りして創作されました。

 

「浅茅生の」は「小野」にかかる枕詞で、「丈の短い茅が生える野原」という意味になります。

「小」は接続語で、言葉の調子を整えるために使われています。

続く「篠原」は「細い竹が生えた原っぱ」のことです。

ここまでが序詞で「忍ぶれど」にかかり、高低差のある2つの植物が同じ場所に茂っている情景を描いています。

 

茅はイネ科の植物で、それほど上背はありません。

その中で、竹は隠れようがないくらい目立ってしまいます。

その様子が、隠そうにも隠し切れない恋心と重なって映ったのでしょう。

 

この「小野の篠原」というのは、この歌以前にはほとんど見られない表現でした。

が、百人一首に選ばれたことで、歌語(和歌に使われる語や表現)として定着しました。

ほかにも、百人一首に選ばれたことで有名になった表現としては、「夢の通ひ路」などがあります。

 

 

参議等は880年生~951年没。

中納言・源希の次男で、嵯峨天皇のひ孫にあたります。

本名は源等。

60歳を過ぎてから、参議の位につきました。

 

 

 

40首目

忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで

平兼盛

 

誰にも知られないように想い忍んできたのに、いつの間にか人から尋ねられるほど顔に出ていたとは。

 

 

解説

「忍ぶ恋」というお題で、壬生忠見と歌合をした際に詠った歌です。

両者とも甲乙つけがたい出来栄えで、判定は難航しました。

すると、天皇がふと兼盛の歌を口ずさんだため、兼盛の勝ちとみなされました。

 

この勝敗に関して、判定人だった藤原実頼は、その後も判定結果に疑問をもっていたと言われています。

 

 

この歌は、自分では他人に隠しているつもりだった意中の相手に対する好意が、実は周囲にはバレバレだったことを詠んでいます。

上の句で「顔に出てしまったようだ」と結論を述べてから、その理由を下の句まで引っ張り余韻を残すというように、倒置法が効果的に使われています。

 

 

・歌合とは

「歌合」は、物の優劣を競う「物合」の一種で、歌の優劣を競います。

お題にそった歌を詠む「題詠」で詠まれた歌を、左右二組に分かれて読みあげ、審判である「判者」が勝敗を決めます。

歌合は平安時代にさかんに行われましたが、この兼盛と忠見の「天徳内裏歌合」はもっとも有名な歌合です。

 

平兼盛は生年不詳~990年没。

三十六歌仙のひとり。

光孝天皇の玄孫ですが、950年に皇族の身分を離れ、「平」の姓を名乗ります。

家集(ひとりの歌人の歌を集めたもの)に『兼盛集』があります。

百人一首 千鳥

百人一首 千鳥