百人一首を第一首から学ぶ(45・46)
45首目
あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな
謙徳公
訳
私のことをかわいそうだと言ってくれそうな人が思い浮かばない。
このまま孤独に死んでいくのだろうか。
解説
『拾遺集』の詞書に「もの言いはべける女の、つれなくはべりて、さらに逢はずはべりけれ(言い寄った女性がだんだん冷たくなって、逢ってもくれなくなった)」とあることから、会ってくれなくなった恋人に詠んだ歌だということがわかります。
作者は、家柄も良く、美男子だったので、つれなくされて死んでしまうと大胆にも死をほのめかして詠み、恋人の反応を試したともいわれます。
この歌の解釈はもうひとつあります。
人が生きていくうえで感じるさびしさについて詠まれているという説です。
「恋のつらさ」と「人生のさびしさ」。
ふたつの想いが込められているという見方で読むと、印象が違ってきます。
謙徳公は924年生~972年没。
本名は藤原伊尹
花山天皇の祖父にあたり、晩年は太政大臣にまで昇進しました。
また、文才に優れ、『一条摂政御集』という歌物語をつくりました。
ちなみに、祖父は貞信公です。
46首目
由良のとを わたる舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな
曽禰好忠
訳
由良の海峡を渡る船の船頭が、櫂をなくして、行く先もわからないまま漂っているように、私の恋の行く末もまったくどうなっていくのかわからないものだなぁ。
解説
自ら進むための舵を失った船に、行く先の見えない自身の恋愛を重ね合わせた一首です。
「由良のと」の由良は、京都府宮津市を流れる由良川を指すという説と、和歌山県にある由良の御崎を指すという二つの説があり、はっきりとはわかっていません。
「と」は海峡を示す「門」の意味で、潮の流れが複雑な船頭泣かせの場所を表しています。
3句目にある「かぢ」は、操船に用いる「櫂」という道具のことで、これを「絶え(失った)」状態を表すことで、船が思い通りに進めない情景を描きだしています。
潮の流れが複雑な上に、櫂を失ったとなれば、船の行く先がわからないばかりか、沈没してしまう可能性も十分に考えられます。
まさに「ゆくへも知らぬ(行く末がわからない)といった窮地なのです。
これが「恋の道(恋の行方)」に重ねられているとすると、それほどまでに自分の恋に不安を感じるような、前途多難な状況だったのでしょう。
「由良の門を」から「かぢをたえ」までの上の句は序詞で、下の句を際立たせる役目があります。
「門」「渡る」「舟人」「かぢ」「ゆくえ」「道」がすべて縁語の関係になっているなど、細部まで神経の行き届いた歌です。
曽禰好忠は生没年不詳。
丹後国(現在の京都府北部)の役人を長く務めていたことから、その名がつきました。
斬新な歌風で評価された一方、偏屈で奇行が多かったとも伝えられています。
円融院で開かれた歌合では、呼ばれていないのに粗末な格好で現れたという逸話も残っています。

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