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【百人一首】を第一首から学ぶ(51・52)

百人一首を第一首から学ぶ(51・52)

 

51首目

かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを

藤原実方朝臣

 

こんなにも恋しく思っているのに、いざ口に出して伝えようとすると言えません。

きっとあなたは知らないでしょう。

私の心が、伊吹山のさしも草のように燃えているなんて。

 

 

解説

詞書に「女にはじめてつかわしける」と書かれていることから、この歌は、藤原実方朝臣が想いを寄せる相手にはじめて気持ちを打ち明けた和歌であることがわかります。

溢れんばかりの想いを募らせている男が、自らの気持ちを燃えるようなさしも草に喩え、どうにか相手に伝えようと苦心している姿が目に浮かびます。

 

熱い気もちをストレートに詠んだ歌ですが、その表現には様々なテクニックが駆使されています。

 

冒頭「かくとだに」は、一見しただけでは何を意味しているのかわかりにくいですが、「かく」は「このように」という意味で、「だに」は打消しの副助詞なので、現代語に訳すと「このように~さえ」となります。

前後の文脈から「~」の部分に省略されているのは「あなたを慕っていること」だと解釈できます。

 

続く「えやはいぶきの」も非常に技巧的な表現となっています。

「いぶき」が掛詞で、上を受けて「えやは言う」、下にかかって「いぶき」という2つの意味をなしています。

 

このように技巧に満ちた表現となっているのには理由があります。

藤原実方朝臣は『枕草子』の作者として知られる清少納言と恋仲で、彼女以上の和歌を詠もうと意気込んでいたのでしょう。

 

歌の中にある「さしも草」とは、強く印象的な香りを持つ「ヨモギ」を指しています。

 

 

藤原実方朝臣は生年未詳~998年没。

恋多き人物であり、『源氏物語』の主人公である光源氏のモデルのひとりとされています。

左近衛中将まで出世しますが、宮中でもめごとを起こし、奥州に左遷されました。

 

 

 

52首目

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな

藤原道信朝臣

 

夜が明ければやがて日が暮れ、またあなたと会えることはわかっています。

しかし、それでもあなたとわかれなければいけない夜明けは、とても恨めしいものです。

 

 

解説

この歌を理解するためには、まず当時の時代背景を把握しておく必要があります。

作者の藤原道信朝臣が生きた平安時代、男女が自由に会うことは許されていませんでした。

夫婦であっても別居しているのは当たり前で、女性は男性が家にやってくるのをただ待つしかなかったのです。

いわゆる通い婚という習慣です。

しかも、会うことができるのは夜のみで、男性は夜明けとともに女性の家を去らなければなりませんでした。

 

こうした状況をふまえてこの歌をみると、好きな相手と少しでも長くいたいという道信の切実な心情を読みとることができます。

夜になればまた会えることはわかっているものの、会えない昼の時間がつらく、朝がやってくるのを疎ましく感じているのです。

 

女性の家を去ったあと、男性は「後朝の文」を出すのが通例でした。

「後朝の文」とは、一夜をともにした女性に男性が送る恋文で、道信の歌もこれに当たります。

 

『後拾遺集』では、雪の降る朝に詠まれたとされ、夜が一番長いとされる冬の一夜を過ごした後でさえも、まだ名残惜しいということが詠まれた歌であることがわかります。

 

 

藤原道信朝臣は972年生~994年没。

太政大臣・藤原為光の3男で、従四位上・左近中将にまで昇進しました。

中級貴族である「朝臣」を名乗り、将来を約束された身分でしたが、23歳の若さで夭折しました。

中古三十六歌仙のひとりでもあります。

超訳百人一首 うた恋い。

超訳百人一首 うた恋い。