本棚のすき間

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【百人一首】を第一首から学ぶ(53・54)

百人一首を第一首から学ぶ(53・54)

 

53首目

嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る

右大将道綱母

 

嘆きながらひとりで孤独に寝る夜。

夜明けまでの時間がいかに長いことか、あなたは知らないでしょう。

 

 

解説

詠み人の藤原道綱母は『蜻蛉日記』の作者としても有名です。

『蜻蛉日記』によると、息子の道綱が生まれた直後なのに、夫の藤原兼家は別の愛人宅に通い始めてしまいました。

ちなみに藤原兼家は政界の実力者であり、たくさんの妻がいました。

 

しばらくぶりに訪れた兼家に対し、門を開けなかったところ、兼家は帰ってしまいました。

翌日、色あせた菊一輪とともにこの歌を兼家に贈ったといわれています。

 

兼家は、扉を開けてくれなかったことに怒ったといわれています。

女性は、男性の訪れをただ待つしかなかった時代です。

辛抱強く待つことしかできない平安時代の女性の、本音が伝わってきます。

 

 

右大将道綱母は936年生~995年没。

藤原兼家の妻のひとりで、『蜻蛉日記』の作者。

『蜻蛉日記』は作者の21年分の日記です。

成長する息子のすがたや、結婚生活への不満、夫である兼家へのドロドロとした嫉妬話や怒りの数々が綴られています……。

 

『蜻蛉日記』は『源氏物語』や『枕草子』よりも前に書かれ、女流文学の先がけとなりました。

 

 

 

54首目

忘れじの ゆく末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな

儀同三司母

 

忘れないというあなたの言葉も、将来では変わるかもしれません。

今日を限りに命が尽きてしまえばいいのに。

 

 

解説

詠み人の儀同三司母のもとへ、藤原道隆が通い始めたころの歌だといわれています。

ふたりは夫婦になり、男は「忘れじ」と愛を誓います。

それに対し「今日をかぎりの 命ともがな」と答える女。

 

結ばれたばかりの恋人たちの睦言のようでもありますし、男の心変わりを恐れる女性の本音のようでもあります。

 

当時、男性には何人もの妻がいました。

たとえ恋が実っても、その人の愛をひとりじめできることはほとんどありません。

女性は、どんなに甘い言葉をささやかれても、いずれ自分への愛情は薄れてしまうものだ、と考えていたのです。

 

この歌の相手である道隆は、当時、関白という政治の中心的地位にあり、女性からも非常にモテていたそうです。

 

 

儀同三司母は生年不詳~996年没。

本名は高階貴子。

藤原道隆の正妻となり、伊周、隆家、定子を産みました。

円融院に仕えて、高内侍と呼ばれました。

女性ながら漢詩を得意としたそうです。

 

任天堂 百人一首 舞扇

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