百人一首を第一首から学ぶ(65・66)
65首目
恨みわび 干さぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ
相模
訳
涙で朽ちる着物の袖さえ無念なのに、失恋で悪いうわさが立ち、私の名も落ちていく。
それが口惜しい。
解説
作者は平安時代を代表する女流歌人のひとりで、相模守・大江公資と結婚したため、相模という名でよばれていました。
しかし、恋多き女であった相模の結婚生活はそう長くは続きませんでした。
別れた後も次々と恋に落ち、気がつくと「尻軽女」のレッテルを貼られてしまうことに。
そうした性格もあってか、相模の歌にはよく「そでをぬらす」という表現が出てきます。
「恨みわび」から始まったこの歌は「干さぬ袖だに」「恋に朽ちなむ」と悲劇的な言葉が続いていきます。
1051年の内裏歌合で詠まれたものであり、詠み人の相模は当時50代です。
そのため、実体験ではなく、根合と呼ばれる歌の会のために詠まれたものだともいわれています。
根合とは、五月五日の端午の節句で持ち寄ったショウブの根や、それに添える歌を競うものです。
相模は998年生~1061年頃没。
2回の結婚と離別を経て、脩子内親王に出仕しました。
66首目
もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし
前大僧正行尊
訳
山桜よ、私がお前を愛おしむように、私のことも愛おしいと思ってくれ。
お前以外に知人はいないのだ。
解説
山奥で思いがけず見つけた山桜にシンパシーを感じ、ひっそりと咲き誇る花への共感を詠んだ歌です。
作者は10歳で父親を失い、12歳で出家、15歳の時には熊野や大峰の山中深くへ分け入り、修験道者としての修行を始めたそうです。
人にも合わず、食事もまともにとらず、ただひたすら自然と向き合う生活の孤独感の中で出会った山桜の花は、彼の目にどんな風に見えていたのでしょう。
「もろともにあはれと思へ」という言葉に、作者の気持ちがつまっています。
「もろとも」は「いっしょに」という意味の副詞です。
「あはれ」は感動を表す形容詞で、「思へ」は「思ふ」という動詞の命令形です。
現代語にすると、「いっしょに愛おしいと思っておくれ」という意味になります。
ちなみに、大峰山は過酷な修行をするための神聖な山としてあがめられていた、標高1915メートルの山です。
前大僧正行尊は1054年生~1135年没。
三条院の皇子、敦明親王の孫です。
12歳で出家して密教を学んだ後、熊野で山伏としての修行をつみました。
崇徳院などの護持僧を務めました。