百人一首を第一首から学ぶ(73・74)
73首目
高砂の 尾の上の桜 咲にけり 外山の霞 立たずもあらなむ
権中納言匡房
訳
遠くの山の峰に桜が咲いている。
里山の霞よ立たないでくれ。
峰の桜が見えなくなってしまうから。
解説
作者の権中納言匡房は学者の家柄である大江氏の出身でした。
幼少時代から才があり、長じては菅原道真と並び称されていたとも言われています。
この歌は、藤原師通の家で開かれた歌合で「遙かに桜を望む」の題で歌われました。
「高砂」は「高い山」で、「尾の上の桜」は「尾(峰)の上」です。
「外山」は人里に近い山の意味です。
この歌では、かすみを擬人化し「立たないで」と懇願する形をとり、本来この歌で伝えたい桜の美しさを間接的に表現しています。
春の風物詩である桜と霞が品よく組み合わされた一首です。
ちなみに、平安時代より前は、「かすみ」と「きり」に区別はなく、平安時代から春はかすみ、秋はきりとされました。
権中納言匡房は1041年生~1111年没。
後三条帝治下で、延久の善政を推進しました。
和歌のみならず、漢学や政治でもその能力を発揮しました。
74首目
憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ 激しかれとは 祈らぬものを
源俊頼朝臣
訳
つれないあの人が私にふり向いてくれるよう、初瀬の観音様にお祈りはしましたが、初瀬の山おろしよ、お前のように激しく、冷たくなってくれと祈ったわけではないのになあ。
解説
歌の中にある「初瀬」とは、現在の奈良県桜井市を指す地名です。
山に囲まれた渓谷には、霊験あらたかな名刹として、京都の清水寺などと並び称される長谷寺がありました。
ここは古くから観音信仰の霊場とされ、同時に、山から冷たく激しい風が吹き下ろす場所としても知られていました。
作者の源俊頼朝臣にはどうしてもふり向かせたい女性がいたが、相手は「憂かりける人」、つまり自分の想いに応えてはくれないつれない人だった、という様子が窺えます。
そこで、確かなご利益があることで知られる長谷寺に参り、祈った。
しかし、結果は関係性がよくなるどころか、相手の態度はますます冷たくなってしまいました。
その様子を、まるで初瀬の山から吹き下ろす、冷たく激しい風のようだったと詠んでいるのです。
長谷寺は平安時代、恋愛成就を祈る女性に人気があったお寺で、『蜻蛉日記』や『更級日記』にも登場しています。
源俊頼朝臣は1055年生~1129年没。
大納言経信の子。
技巧を凝らした斬新な表現を得意とし、歌壇の革新的存在として注目を浴びました。
1124年には、白河法皇の命により『金葉和歌集』の選集を行っています。