百人一首を第一首から学ぶ(81・82)
81首目
ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる
後徳大寺左大臣
訳
今朝、ホトトギスの鳴き声がした方角をふっと眺めてみたが、有明の月が輝いているだけだった。
解説
「ホトトギス」は夏になると日本に飛来する渡り鳥で、初夏を代表する事物です。
そのホトトギスの鳴き声がしたので、急いでそちらを見たら、「ただ有明の 月ぞ残れる」だったというのです。
ホトトギスの初音を聞くのは風流の一つでした。
声を聞くために徹夜をする者もいたくらいです。
動物や鳥の鳴き声が詠まれた歌は非常に多くあります。
中でも、ホトトギスは鳥の中で最多で、『万葉集』などによく登場します。
作者は、上の句では「ホトトギスの声がした」と耳でとらえた情景をよみました。
続けて下の句では「有明の月がうかんでいた」と、目にうつった情景を詠んでいます。
後徳大寺左大臣は1139年生~1192年没。
権中納言定家のいとこで、歌以外にも管弦の才能にも長けていました。
平安時代末期の公卿で、平清盛と政争を繰り広げました。
82首目
思ひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり
道因法師
訳
つれない人のことに思い悩み、それでも命だけはあるが、辛さに耐え切れず涙が溢れてくる。
解説
どうしてもふり向いてくれない相手との辛い恋愛に耐える「命」とそれでも耐え切れずあふれ出てくる「涙」を対比させ、生きることの苦悩を詠った歌です。
一般的には恋の辛さを詠った歌と言われているが、作者の年齢などを鑑みて、「過ぎ去った人生そのものへの哀悼」とする解釈もあります。
ちなみに作者は崇徳院に仕えていたころ、部下に与える報酬を着服したそう。
憤慨した部下に着物をはぎ取られ、人前で裸にされたとのことです。
また、60歳をすぎても町なかでいさかいを起こして刃物を振り回したり、歌の判定に納得がいかないと判者に泣きついたりもしたと言われています。
道因法師は1090年生~1182年没。
80歳を過ぎてから出家し、晩年は比叡山で暮らしました。
90歳を超えてからも、歌合に出席したそうです。