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【百人一首】第二十一首~第三十首 現代語訳と解説 まとめ

百人一首 第二十一首から第三十首を一気に学ぶ

 

21首目

今来こむと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな

素性法師

 

「今すぐ行くよ」と言ったから九月の長い夜を待ち続けていたのに、夜明けの月が出てきてしまった。

 

 

素性法師は生没年不明。

清和天皇に仕え、左近将監にまで昇進するも、父の命令により出家しました。

この父というのは、12首目に登場した僧正遍昭です。

 

 

解説

いくら待ってもやって来ない恋人と、待ってもいないのに出てきてしまった夜明けの月を対比することで、やるせない女性の気持ちを詠った一首です。

 

作者の素性法師は男性ですが、女性の気持ちをよく表した歌として、多くの女性から支持を得ました。

 

「長月」とは旧暦でいう9月のことを指します。

が、この歌には女性が恋人を待っていた期間について、ふたつの解釈があります。

 

ひとつは、逢瀬の約束から一晩待っていたという説です。

この解釈だと、秋の夜長に待ちぼうけをさせられていた女性の愚痴、といったニュアンスでとらえることができます。

 

もうひとつは、長月の間、つまり一ヵ月に渡って待ち続けたという説です。

こちらの解釈だと、女性の気持ちは愚痴といった軽いものではなく、悲痛さを帯びて伝わってきます。

(藤原定家は後者の解釈の説をとなえているそうです)

 

当時は、待つことしか手立てのないじょせいにとって、男性との約束は希望と同じでした。

それに対して裏切られたやるせなさがにじんでいる歌です。

 

 

 

 

22首目

吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ

文屋康秀

 

風が吹くと、すぐに飽きの草木があらされてしまう。

なるほど、だから山から吹く風を嵐というのだな。

 

 

文屋康秀は生年不詳~885年頃没。

小野小町と親交があり、三河国に赴任する際、彼女を誘ったともいわれています。

 

 

解説

文屋康秀はそれほど出世をした人物ではありませんでした。

和歌においても、あまり高い評価はされていなかったようです。

紀貫之は『古今和歌集』の仮名序で「詞はたくみにて、そのさま身におはず、いはば商人のよき衣着たらんがごとし」と述べています。

つまり、「言葉は巧みだが、その様子は俗っぽい。商人が上品な衣を着ているようなものだ」とかなり辛辣に評しています。

 

そんな文屋康秀が詠んだのがこの歌です。

「~からに」は「~するとすぐに」という意味で、「しをる」は植物がしおれる様を示しています。

「むべ」は感嘆、納得の副詞になります。

 

歌を意訳すると「山からの強い風が吹くと、植物を荒らして枯らしてしまう。だから嵐というんだなあ」となります。

激しい風を見て、漢字の成り立ちに納得しているだけなのですが、文にリズムがあります。

 

 

 

23首目

月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど

大江千里

 

秋の月を見ていると、いろいろともの思いに耽ってしまう。

私ひとりのために訪れた秋ではないけれど。

 

 

大江千里は生没年不詳。

平安時代前期の学者・歌人で、宇多天皇の命で『句題和歌』を選集しています。

 

 

解説

「ちぢ」は「千々」で「数が多いこと」を表現する言葉です。

下の句の「ひとつ」と対応しています。

下の句も、本来なら「私ひとり」と表現していいところなのに、わざと「ひとつ」と詠んだのも「千々」に対応させるためでしょう。

 

「もの」は「自分を取り巻くいろんな事象」を示し、「悲し」と合わせると「いろんなことがなんとなくもの悲しく思える」となります。

 

この歌の最大のポイントは、下の句の「わが身ひとつの 秋にはあらねど」でしょう。

「私ひとりだけの秋ではないけれど」という否定&逆説で終わることで、その裏にある「でも自分ひとりだけが寂しい気がする」という心情をわざと見え隠れさせています。

 

唐の詩人・白居易の作品の一節「秋来つて只だ一人の為に長し」を踏まえていて、漢詩も得意とした大江千里らしい一首です。

 

893年ごろ、是貞親王家で開かれた歌合で披露され、同じ時に文屋康秀の名歌「吹くからに 秋の草木のしをむれば むべ山風を 嵐といふらむ」も詠まれました。

 

 

この歌のように、秋をもの悲しい季節だと感じるようになったのは、この時代に流行した漢詩文の影響が大きいとも言われています。

 

 

 

24首目

このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

菅家

 

今度の旅は急だったため、お供えの幣を用意できませんでしたが、美しい紅葉をお受け取りください。

 

 

菅家は845年生~903年没。

菅家とは、菅原道真を神格化してよんだ名です。

「学問の神様」として知られる道真。

宇多天皇から醍醐天皇の時代まで朝廷に仕えて右大臣に出世しますが、藤原時平におとしいれられ、九州の大宰府に追いやられます。

死後、時平を恨み、怨霊となり、京の都に災いをもたらしたとされています。

その後、人々は北野天満宮を建て、道真の霊を祀りました。

 

 

解説

菅原道真が宇多上皇のお供として吉野の宮滝(現在の奈良県)へ出かけた際に詠んだとされる歌です。

「このたびは」の「たび」は、「度」と「旅」の掛詞で、両方の意味が含まれています。

「幣」とは、色とりどりの木綿や紙を細かく切ったもので、道祖神にお供えして旅の安全を祈るという風習がありました。

 

「とりあへず」は、現在使われている「とりあえず」という意味とは異なり、「取り揃える暇がない」といった意味合いを持っています。

 

「手向山」は具体的な地名ではなく、神に幣をささげる山のことです。

 

最後の「神のまにまに」は、「神の御心のままに」という表現で、その後には省略されていますが「お受け取りください」というニュアンスが隠されています。

 

 

旅の途中、一行は道祖神にお供えする幣を忘れてきたことに気がつきます。

そこで、道真が幣の代わりに、錦織のように鮮やかな紅葉をお供えすることを提案したのです。

さすがは学問の神様といったところでしょうか。

 

また、別の解釈では、実は用意するのを忘れたわけではなく、あまりの紅葉の美しさにひかれた道真が、粋な計らいを見せたのではという話もあります。

 

 

 

25首目

名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで 来るよしもがな

三条右大臣

 

「逢う」という名を持つ逢坂山。

その名に背かないのなら、人知れずあなたに会う方法はないものか。

 

 

三条右大臣は873年生~932年没。

藤原定方の別名です。

京都・三条に住んでいたことからこう呼ばれました。

中納言朝忠の父。

いとこの中納言兼輔とならんで、当時の和歌の世界で中心的な存在だったといわれています。

 

 

解説

人目を忍ぶ恋の歌です。

「逢坂山」は山城国(京都府)と近江国(滋賀県)の間にある山を指し、その名前から「逢ふ」との掛詞になっています。

 

「さねかづら」はモクレン科の蔓草のことで、「小寝(さね)(一緒に寝ること)」との掛詞、なおかつ、「逢ふ」の縁語にもなっています。

 

ここまでをまとめて現代語訳すると、「逢うという名前を持つ逢坂山と、小寝という意味を持つさねかづらが、その名に違わないのであれば」という意味になります。

 

続く「人に知られで」は「他人に知られないで」の意味です。

「来るよしもがな」の「くる」は、「来る」と「繰る」の掛詞で、「人が来ること」と「蔓を手繰り寄せること」を同時に表現しています。

 

後半部分は「さねかづらの蔓を手繰り寄せるように、人知れずあなたのもとに行く方法はないものか」と現代語訳できます。

 

公にはできないけれど、どうにかして恋人に会いたい、という気持ちがあふれているのが伝わってきます。

 

 

 

 

26首目

小倉山 峰の紅葉 心あらば いまひとたびの みゆき待たなむ

貞信公

 

小倉山の峰の紅葉よ。

もしお前に心があるのなら、もう一度天皇がおいでになるまで、散らずに待っていてほしい。

 

 

貞信公は880年生~949年没。

藤原氏繁栄の礎を築いた実力者。

 

 

解説

紅葉を人に見立て、散らないでほしいという願望を詠った歌です。

『拾遺集』の詞書によれば、宇多上皇が大堰川に御幸した際、小倉山の見事な紅葉を我が子の醍醐天皇にも見せたいと言ったのを受けて、貞信公が詠んだとされています。

 

小倉山はもともと、「小暗い山(おぐらいやま)」とされた場所でしたが、貞信公の歌によって、紅葉の名所へと変わったそうです。

 

 

 

27首目

みかの原 わきて流るる 泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ

中納言兼輔

 

みかの原を左右に分けて流れる泉川。

その泉川の「いつ見」

ではないけれど、いったい、いつ見たということで、こんなにも恋しいのか。

 

 

中納言兼輔は877年生~933年没。

本名は藤原兼輔で、紫式部の曽祖父にあたります。

三十六歌仙のひとり。

 

 

解説

平安時代の恋愛は歌によって始まりました。

男性は気になる異性に歌を贈り、女性は歌のセンスや時の美しさから想像をめぐらせ、それを基準に恋人を選びます。

なので、交際が始まるまでは、お互いに顔を合わせることはありませんでした。

つまり、顔も知らない相手に恋心を抱くというのも、当たり前のことだったのです。

 

この歌も、未だ見ぬ相手への想いを詠った歌です。

当時、都で噂になっていた若狭守の姫への恋心を綴った歌とされています。

 

「みかの原」は枕詞。

甕を埋めたところから水が湧き出たとの伝承があります。

 

その後に続く「わきて」は「湧き」と「分き」の掛詞になっていて、水が湧き、大地を分けるように流れている様を表しています。

それと同時に「いづみ(泉)」の縁語にもなっています。

 

また、「泉川」と「いつ見き」という同音をくりかえしているのもポイントです。

意味を強調する修辞法ですね。

 

 

 

28首目

山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれると思へば

源宗于朝臣

 

山里は冬にことさら寂しさが強く感じられる。

人の訪れもなくなり、草木も枯れてしまうと思うと。

 

 

源宗于朝臣は生年不詳~940年没。

光孝天皇の直系の孫で、臣籍降下されました。

「寛平后宮歌合」などの参加。

 

 

解説

源宗于朝臣は、光孝天皇の皇子である是忠親王の息子です。

臣籍降下されて源氏の姓を賜りますが、あまり官位が上がりませんでした。

『大和物語』にはそのことを宇多天皇に嘆く話も載っています。

 

ある歌合で宇多天皇に「沖つ風 ふけゐの浦に 立つ浪の なごりにさへや われはしづまぬ」(沖から風が吹いて吹井の浦に波が立ちますが、海松のような私は海底に沈んだままです)とアピールするも、「意味が分からない」とスルーされてしまったという悲しい話です。

 

そういった背景を知ると、この歌もよりもの悲しく聞こえる気がします。

「冬ぞ寂しさまさりける」の「ぞ」は強調の助詞で、「他の季節も寂しいけれど、冬が一番寂しい」という意味になります。

 

「かれ」は「枯れ」と「離れ」の掛詞。

「思へば」で結ぶのは倒置法を用いており、最初の「山里は~」に続き、主題の「寂しさ まさりける」を強調しています。

 

 

 

29首目

心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花

凡河内躬恒

 

手折るならば、当て推量で手折ってみようか。

初霜が降りて、白菊と見分けがつかなくなっているのだから。

 

 

凡河内躬恒は859年頃から925年頃没。

卑官(下級役人)だったが、歌人としては名高かった。

三十六歌仙のひとり。

 

 

解説

「初霜」はその年、最初に降る霜です。

霜が降りてまっ白になり、白菊の花が埋もれてしまった。

そんな晩秋の朝の光景が浮かぶ和歌です。

 

大仰な表現とも言えますが、二つのものが一体化して感じられるほど、まじりけのないまぶしい白さであったことがはっきりと伝わってきます。

 

躬恒の歌づくりは早業で、醍醐天皇と歌で会話をしたほどとも言われています。

 

ちなみに、奈良時代から、菊は体によい植物とされていました。

後鳥羽院のお気に入りで、のちに皇室の紋章にもなりました。

 

 

 

30首目

有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし

壬生忠岑

 

有明の月が冷たく光っていたあなたとの別れの日以来、私にとって夜明け前ほど憂鬱な時間はない。

 

 

壬生忠岑は860年生~920年没。

『古今集』の撰者のひとりで、三十六歌仙にも選ばれています。

 

 

解説

この歌は、読み手によって解釈が大きく異なると言われています。

まずは、男がつれなく感じたのが「有明の月」なのか「女の態度」なのかという点です。

出典の『古今集』では、つれなかったのは「相手の女性の心」として、振られた作者の心境を詠んだものと解釈されています。

権中納言定家は「有明の月」とし、逢瀬のあとの別れを惜しむ男心とロマンチックな解釈をしています。

現在では、その両方である、という解釈が一般的となっています。

 

有明とは、空に月が残ったまま夜が明けること、あるいは、その時間帯を指します。

この時間の別れといえば、一夜をともにした男女の別れと解釈するのが和歌の常識です。

 

この時、男女の間に何があったのかはわかりませんが、この時間帯ほど「憂きものはなし(憂鬱なことはない)」とあるので、よほど深い傷を負うような何かがあったのでしょう。

 

いつもは美しいと感じる夜空の月ですら、意中の相手から無下にされた夜には薄情な存在に見えてしまう、そんな感覚が詠われています。

 

有明の月は夜明け前に空に残っている月のことを指しますが、深夜に夜空で輝いている月のことは「夜半(よわ)の月」と言います。

 

任天堂 百人一首 舞扇

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