本棚のすき間

読書・書店・学校図書館についてのあれこれ

『実は昼ドラちっくな!?百人一首』【書評】まんがでわかる

こんにちは。

こつこつと書いてきた百人一首の記事も、いよいよ後半になってきました。

 

今日は、百人一首に関する豆知識的なことがたくさん書いてあるこちらの本を紹介したいと思います。 

実は昼ドラちっくな!? 百人一首

実は昼ドラちっくな!? 百人一首

 

『実は昼ドラちっくな!?百人一首』

作者:関根尚

ベストセラーズ

 

最近本屋に行くと「まんがでわかる」といったシリーズがたくさん売っていますよね。

この本も、中身はほとんどまんがです。

 

ある時中学二年生の男の子のもとに甦った藤原定家。

ホームステイにきていたメアリーが百人一首に興味を持ち、特に望んでもいない百人一首の世界にいざなわれたのでした……

 

という感じで、ゆるく、そして親しみやすい内容となっています。

 

その中から、藤原定家が教えてくれたことを少しだけ紹介します。

 

百人一首は恋の歌ばかり?

百人一首というと、恋の歌! というイメージを持っている方が多いかと思いますが、実はそうでもなかったりします。

 

恋を詠んだものが43首。

季節を詠んだものが32首。

その他のものが25首。

 

全体の約4割なので、多いは多いですが、恋の歌じゃないものもけっこうあります。

 

紫式部といえば源氏物語 源氏物語といえば恋の歌?

百人一首には、紫式部が詠んだ歌も入っています。

 

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな

 

という歌で、現代語訳すると、こんな感じです。

 

久しぶりにめぐり逢ったのに、あなたかどうかも分からないうちに去っていってしまいましたね。

すぐに雲にかくれてしまった月のように。

 

これだけを読めば、恋の歌と言われても、全くふしぎではありません。

しかし、この歌は実は幼なじみとの再会を詠んだものなのです。

 

ちなみに、紫式部は結婚後すぐに未亡人となってしまいました。

そして、『源氏物語』も、未亡人になってから書き始めたものと言われています。

 

つまりは「未亡人が個人的に書いていた恋愛小説」が口コミで広がって大評判になっていった、というわけですが、彼女は幼い頃から漢詩文をよく理解し、父親からは「この子が男だったらよかったのに」と言われたくらいだったそうです。

 

それまで公共の場では漢文が使われていましたが、ちょうど平安時代になって、女性の文字である平仮名が誕生したのも、紫式部の才能が開花する一因であり、また、『源氏物語』誕生の大きな要素の一つです。

 

そうして『源氏物語』が評判となり、その噂をききつけた藤原道長が、自分の娘の家庭教師として紫式部を指名したのが、宮仕えの始まりです。

 

紫式部と清少納言

この、道長の娘、彰子に紫式部は使えたわけですが、それより先に、道長の兄・道隆の娘である定子には、才女の清少納言がすでに仕えていました。

 

彰子側・『源氏物語』の紫式部と定子側・『枕草子』の清少納言。

ときくと、ライバル関係のように思えますが、おそらく二人に面識は無かったのではないかと言われています。

 

清少納言の方が七歳ほど年上で、宮仕えしていた期間も重なってはいません。

とはいえ、『紫式部日記』には、

「清少納言って知識ひけらかしてるけど、まちがいだらけだし軽薄なのよ……」

といったような、清少納言に対する悪口が書かれています。

(この本の中では定家が「ま、それは陰キャだから……」と言ってごまがされていますが)

 

愚痴や批評が多い『紫式部日記』に対して、『枕草子』は自慢話ともとれる話がちりばめられています。

それはまるで、現代の若者がインスタグラムやフェイスブックでリア充自慢をするかのような内容です。

 

たとえば

「おおぜいのお付きの者の中から、自分の近くに来るようにと定子さまが私を招きよせてくれた」

「定子さまが以前私が言っていた事を覚えていて贈り物をしてくださった」

「定子さまの謎かけに上手く答えたらさすが清少納言ねとおほめいただいた」

などなどです。

 

そんな、清少納言の定子さま大好きっぷりが伝わってくる『枕草子』ですが、ただただ自慢したいという気もちだけで書かれていたわけでもなさそうです。

 

『枕草子』にひめられた想いとは

権力争いの渦中にいた中宮定子は、父の道隆が亡くなると、後ろ盾をなくし、凋落、出家します。

 

その後、一条天皇に熱心に説得されて再び参内しますが、道長の娘・彰子が皇后となったために、定子は宮中のはずれでひっそりと暮らしました。

やがて、24歳で定子は亡くなりました。

 

あんなにも敬愛していた定子が亡くなり、清少納言の悲しみはどれほどだったでしょう。

定子の存命中から『枕草子』は執筆されていましたが、死後9年間に渡って書き続けられました。

 

つまり、清少納言は「あんな事がありましたね」「こんな事もありましたね」「楽しかったです」「嬉しかったです」という、あの頃を懐かしく思う気持ちを持って書いていた部分もある、ということです。

 

不満や恨み言もあったでしょうが、それは書かずに、宮中での美しい思い出と定子への賛歌を一心に書いたもの、それが『枕草子』なのです。

 

 

まとめ

こんな形で、すでに知っていることの裏側や豆知識的なことを、(まんがでは)藤原定家が楽しくボケながら教えてくれる一冊となっています。

タイトルにもあるように、昼ドラちっくなどろどろとした恋模様に焦点をあてた章もあって、え、平安時代……となる人もいるでしょう。

 

百人一首を勉強している方や、平安時代周辺の文化に興味があるという方にぜひおすすめの作品でした。