百人一首を第一首から学ぶ(85・86)
85首目
夜もすがら もの思ふころは 明けやらで ねやのひまさへ つれなかりけり
俊恵法師
訳
一晩中、つれないあなたのことを想って悩んでいるこのごろは、早く朝になってほしいのに、なかなか夜が明けなくて、朝日が差し込むはずの寝室のすき間さえ薄情に思えてきます。
解説
待っても待っても現れない恋人に一晩中想いをよせ、眠れずに朝を迎えた心情を表現した歌です。
この歌を詠んだ俊恵法師は男性です。
当時の時代背景を考えると、男性は待つ側ではなく、訪ねる側というのが常識でした。
この歌は、彼が女性の立場に立って詠んだ歌なのです。
「ねやのひまさへ つれなかりけり」という心理描写について、
「ねや」は「寝室」のことで、「ひま」は「すき間」を示します。
「さえ」には恋人だけでなく、寝室のすき間さえ」という意味が込められており、「つれなし(冷淡な、薄情な)」の連用形に詠嘆の助動詞「けり」をつけることで、「薄情に思えてくる」という心境を巧みに表しています。
百人一首の歌には「もの思ふ」という表現がよく出てきます。
「もの思ふ」は恋に思い悩む歌の決まり文句とされ、多くの恋歌に使われています。
俊恵法師は1113年生~1191年没。
大仏で有名な奈良県東大寺の僧でした。
祖父の源経信、父の源俊頼とともに、3代連続で百人一首に歌が選ばれています。
『方丈記』で知られる鴨長明の師でもありました。
作者の寺「歌林苑」ではよく歌合が開かれ、道因法師や藤原清輔朝臣などが出入りしていました。
86首目
嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな
西行法師
訳
嘆き悲しめといって、月がもの思いをさせるのでしょうか。
いや、そうではありません。
それなのに、まるで月のせいであるかのように、流れ落ちる涙ですよ。
解説
「月の前の恋」というお題で詠まれた想像の歌です。
しんと静まり返った月夜に恋しい人を思い出し、流れ落ちてしまった涙。
その涙を月の姓にしたけれど、切なく苦しいこいごころはごまかしきれな、という心情を詠んでいます。
月がもの思いに耽る様子を表現するためによく用いられるモチーフであることを利用した、技巧的な一首になっています。
この歌では、月がわたしにもの思いさせると涙の理由を月のせいにしています。
このように擬人法を使った歌は百人一首にもたくさんあり、「夜もすがら~」や山桜を擬人化した「もろともに~」など、人間に語りかけるような表現が多くみられます。
ちなみに西行は「ねがはくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ」との歌通り、桜の季節に亡くなりました。
西行法師は1118年生~1190年没。
北面の武士として鳥羽上皇に仕えていましたが、23歳で出家しました。
出家前の名は佐藤義清。
『新古今集』の中では、最も掲載数が多い。