百人一首を第一首から学ぶ(87・88)
87首目
村雨の 露もまだひぬ 槇の葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ
寂蓮法師
訳
にわか雨が通りすぎていき、まだその露もかわかない杉や檜の葉のあたりに、早くも霧が立ち上っている秋の夕暮れだなあ。
解説
木立ににわか雨が降ったあと、時間とともに変化する雨粒の様子を細やかに描写した歌です。
「村雨」はにわか雨のこと。
「槇」は真木、檜や杉のことです。
山間では、雨がやんだあと、木々からうっすらと霧が立ち上ることがあります。
「雨」「露」「霧」と形を変える水滴が際立って表現されています。
秋といえば紅葉というイメージからひと味違った一首となっています。
雨がよく降る日本では、雨の降り方や降る季節によって、さまざまな呼び名があります。
村雨のほかにも、春にしとしとと降る「春雨」、梅雨時に降り続ける「五月雨」、秋から冬にかけて降ったりやんだりする「時雨」など、和歌のなかにも様々な雨が詠まれています。
寂蓮法師は生年不詳~1202年没。
藤原俊成の養子でした。
『新古今集』の撰者になるも、途中で亡くなりました。
88首目
難波江の 葦のかりねの ひとよゆゑ 身を尽くしてや 恋ひわたるべき
皇嘉門院別当
訳
難波の入り江に生える葦。
その葦を買った根っこの一節のように短い、ひと夜の仮寝の相手。
そんな相手なのに、生涯かけて恋い焦がれなくてはいけないでしょうか。
解説
掛詞が多用されている歌です。
「難波江」は摂津国難波の入り江のことで、当時は葦が群生する湿地帯でした。
葦は屋根を葺くのに使用されていたので、当時の人々にはなじみ深いものだったのでしょう。
葦の茎の節と節の長さが「一節」であり、短いことの象徴となっています。
歌では「ひとよ」と表現されていて、これが「一夜」との掛詞です。
さらに、葦の刈り根と掛かっているのが「仮寝」です。
旅先の仮の宿のことです。
つまり、刈り根の一節と仮寝の一夜で、わずかな間を表現しているのです。
「みをつくし」は、入り江を航行する船の目印として立てられた杭「澪標」と、身をほろぼすほどの恋を意味する「身を尽くし」との定番の掛詞になっています。
「葦」や「刈り根」「一節」「澪標」は縁語で、和歌でもよく登場する一群です。
作者の皇嘉門院別当は、右大臣兼実の家で開かれた歌合でこの歌を詠んだと言われています。
テーマは「旅宿に逢ふ恋」でした。
皇嘉門院別当
生没年不詳。
源俊隆の娘ですが、名前も詳細も不明です。

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