百人一首を第一首から学ぶ(95・96)
95首目
おほけなく 憂き世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染の袖
前大僧正慈円
訳
身の程知らずな発言ですが、このつらい世に生きる人々に、覆いをかけてあげましょう。
この比叡山に住み始めてから身に付けている墨染のそでを。
解説
10才のときに父親を亡くしたことをきっかけに出家し、延暦寺で修行をはじめた頃の作者が詠んだ、僧としての決意表明の歌です。
当時は貴族の時代から武士の時代へと転換期を迎えており、疫病なども蔓延していました。
作者はそんな世の中を法力で救う決意を歌にしたのです。
歌が「おほけなく(おそれ多くも)」で始まるところにも、作者の謙虚な姿勢が表れています。
前大僧正慈円は1155年生~1225年没。
比叡山延暦寺を統括した高僧です。
30代後半で、天台宗の最高位の僧侶になりました。
西行法師と並ぶ僧侶歌人。
『新古今集』には91首の歌が収録されており、これは西行に次ぐ二位です。
96首目
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり
入道前太政大臣
訳
桜の花を誘って散らす、はげしい風が吹く庭の、ふりゆくものは雪のような花ではなく、私の身なのだなあ。
解説
「ふりゆく」のひと言で、嵐で桜が「降りゆく」様と、自分が「古りゆく(老いていく)」様とを描き、自らの老いを実感しています。
作者は富も名誉も手にしていましたが、少しずつ年老いて、確実に死へ向かっていることにも気づきはじめていました。
舞い落ちていく花びらと置いていく自身を重ねた、繊細さを感じさせる一種です。
公経の繁栄の象徴は西園寺という別荘です。
この場所はのちに足利義満の手に渡り、金閣を建てたとされています。
入道前太政大臣は1171年生~1244年没。
本名は藤原公経。
鎌倉前期の歌人で、定家の義弟。
承久の乱では幕府側の味方につき、のちに政治の実権を握りました。