百人一首を第一首から学ぶ(99・100)
99首目
人も愛し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は
後鳥羽院
訳
人を愛おしいと思うときもあれば、うらめしいと思うときもある。
この世をつまらないと思うがために、あれこれと思い悩んでしまう、私は。
解説
この歌を詠んだ当時、後鳥羽院は院政を行い、権力をほしいままにしていました。
が、武士を勢力を増す鎌倉時代において、朝廷と幕府との間で上手くいかないこともあったのでしょう。
この歌の「人」は、世の中にはいろんな人がいるという解釈が一般的ですが、一人の人間の二面性を指すという見方もあります。
後鳥羽院は1180年生~1239年没。
4歳で天皇になるも、19歳で譲位しました。
第82代天皇。
のちに「承久の乱」のため隠岐に流され、最期は流刑地で崩御。
100首目!
百敷や 古き軒端の しのぶにも なほ余りある 昔なりけり
順徳院
訳
宮中の古びた軒のはしに生えているしのぶ草を見るほどに、いくらしのんでもしのびつくせない、昔の天皇の治世であることよ。
解説
貴族文化の終焉を感じさせる歌です。
作者が天皇であった二十歳の頃、宮中で詠まれた歌ですが、当時は貴族に変わって、武士が政治を執り行っており、映画を誇った平安の王朝は衰退していました。
行き詰った皇室の未来を嘆いた作者が、平安中期の頃の華やかな時代をしのび、軒のはしに生えた「しのぶ草」に掛けて詠んだものです。
和歌の才能に優れていた作者は、佐渡へ流された後もなお、和歌を詠み続けたと言われています。
「ももしき」というのは宮中のことで、「たくさんの石で築いた城」からできた言葉です。
「しのぶ」は「しのぶ草」と「(昔を)しのぶ」という二つの意味がこめられた掛詞です。
しのぶ草は家の軒先などに生える草のことで、家や庭が荒れている様子を表しています。
順徳院は1197年生~1242年没。
後鳥羽天皇の皇子で、第84代天皇。
和歌の才能にめぐまれ、親交のあった権中納言定家から和歌を習いました。
承久の乱に敗れ、佐渡へ流されその地で生涯を終えました。
まとめ
天智天皇と持統天皇の親子ではじまり、後鳥羽院と順徳院の親子で終わる百人一首です。
その間の歌は、ほぼ時代順に並んでいます。
その期間は約600年分。
「ももしき」は、天智天皇がおさめた都(近江京)もさしていて、天智天皇の歌を思い起こさせることで、百首が輪のように繋がるしかけがあるのかもしれません。