本棚のすき間

絵本や小説、図書館についてなど、本全般について書いています。

『むらさきのスカートの女』今村夏子 が気になる

新刊情報をチェックしていて、これはという作品を見つけてしまった。 

 

むらさきのスカートの女

むらさきのスカートの女

 

近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性が気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で彼女が働きだすよう誘導する。

『あひる』『星の子』が芥川賞候補となった話題の著者による待望の最新作。

 

『むらさきのスカートの女』っていうタイトルからして良いし、紹介文の「どうしてそうなるの?」っていう感じもたまらなく良い。

 

今村夏子さんは『こちらあみ子』を読んでからずっとファンで、いつかこの人は芥川賞をとるだろう、と追いかけている作家。

読んだことがある人はわかると思うけど、この人の書く物語には「不穏」という言葉がいつも漂っていて、それがたまらなく好き。

 

大事件が起こるわけでもないのに、なぜだかページをめくる手がとまらない。

誰かが傷つく、何かが壊れる、どこかに行ってしまう……。

そんな、あいまいで漠然とした不安感が徐々に高まっていき、それが物語の中で現実となったとき、なぜだか、かすかな安心感がやって来る。

 

 

ああやっぱり、こうなっちゃうんだ。

予定調和というのとは違う、その腑に落ちる結末はたしかに毒を持っているのに、それがなんという名前の毒なのかはわからない。

 

人生においても、けっこうそういうところがある。

悪いことが起きる前は不安でしかたがなかったりするのだけれど、いざそれが現実になってしまったとき、不思議なくらい冷静だったりする。

 

なぜなんだろう。

 

 

それとはちょっと違うけど、良いことや楽しいことなんかがやたらと続いたりすると、それもまた不安になる。

この後、大きないやなことや悲しいことが待っているんじゃないかと思ってしまって、それならばいっそこんなに大きな楽しさもなければいいのに、と。

 

そして、実際に何かいやなことや悲しいことが起こると、ああやっぱり、とそれに対するショックも受けるけど、ちょっとほっとしている自分もいる。

ちゃんと、マイナス側のことも起こったんだ。

これの代わりだったんだ、って。

 

そういう帳尻合わせの仕方ってないですか。

 

 

話がだいぶそれてしまったけれど、そういえば、今村夏子さんの作品で、まだ読んでいないものが家にあるのを思い出した。 

父と私の桜尾通り商店街

父と私の桜尾通り商店街

 

読み始めればきっとあっという間で、でも、そうなると読んでしまうのがもったいないというジレンマ。

そうこうしているうちに新刊が出てしまったので、こちらから先に読もう。