平安時代の遊びについて
平安貴族というのは、朝廷での勤めを午前中に終えて、午後は自由だったそう。
自由な時間が長ければ暇になって、いろいろな遊びの文化が生まれる。
当時からあった碁や双六、それから、女性たちは物語や絵、男性たちは蹴鞠や小弓を楽しんでいた。
日が暮れると、宴となり、詩歌管絃の遊びも。
昔、古文の授業で「遊び」とは詩歌管絃の遊びだと教わったことがある。
それくらい、詩歌管絃は当時の代表的な遊びであり、また、男性貴族たちにとっては必須の教養であった。
女性貴族にとっても、琴や和歌というのは、まず身につけなければならない教養だった。
しかし、それと同時に、ありあまる時間の退屈しのぎでもあった。
さまざまな室内遊戯や娯楽の文化が発展していったのは、当時、生涯の大半を室内で過ごさなければならない貴族の女性たちの境遇と無関係ではないだろう。
室内の遊びとして、「物合」というものがある。
左右二組に分かれ、さまざまな事物を合わせて優劣を競う遊びである。
代表的なものとしては、「歌合」がある。
もともと物合の際に勝負に合わせておのおの和歌が詠まれることが多く、そこから和歌だけが独立で合わせられるようになった。
それから、鶏を闘わせて勝負する闘鶏や絵合などがあった。
紙で作った人形に、衣装を着せるなどして遊ぶ「雛遊び」というのもあった。
豪華な御殿や調度類も設えたという。
現代でもそういった人形や擬人化した動物の人形的なものがあるが、その走りといっていいだろう。
室内の遊びが男女問わず行われたのに対し、屋外の遊びは、基本的に男性貴族のみが参加するものだった。
スポーツ感覚の遊びが多く、女性たちはそれを御簾の内側から観覧していた。
競馬や競射といった、勝ち負けが決まるものは賭け事にもなった。
買った側には賭物(のりもの)といわれる商品が与えられ、負けた側は負態(まけわざ)といって、買った側に贈り物をしたり酒をふるまったり。
ちなみに競馬というのは、馬を走らせて、速度の優劣を争う競技。
枕草子の中に、「胸つぶるるもの」の筆頭に「競馬見る」が挙げられている。
落馬などの危険性がともなうため、非常にスリリングな競技だったことがうかがえる。