中学三年生の時の話。
それまで全くといっていいほど読書をしてこなかった。
ある時司書の先生に、中村航さんの『夏休み』という本を薦められ、それがきっかけで本が好きになった。
その後、司書の先生とよく話をするようになって、恋愛相談にのってもらったり、aikoのCDをこっそり貸してもらったりしていた。
たしか、このアルバムだったと思う。
いまでもaikoのCDではこれが一番好き。
先生はとても穏やかで優しい人で、昼休みに図書室に行くと、よくほかの生徒(男子女子問わず)たちともお喋りしていた。
三年の冬、高校入試があって、いわゆる進学校を受験した。
前期の枠もあって、後期の十分の一くらいの人数、15人くらいのとてもとても狭き門。
内申書がそれほどよくなかったけど、受かればラッキー本番は後期というくらいの気持ちで、一応、前期も受験した。
作文と面接。
手ごたえというほどのものもなく、かといって、失敗したという実感もなく。
しばらくして、結果発表の日に。
教室の隣には美術室があって、そこに前期試験を受けた生徒が名簿順に呼ばれて、担任から結果を伝えられる。
教室でそわそわしながら待っていると、自分の番に。
美術室に入るとすぐ、机が二つ向き合う形に置かれている。
その上の蛍光灯しか点いていないので、みょうに暗く感じた。
席に着くと、担任が申し訳なさそうに、でもはっきりと不合格を知らせてくれた。
大きな期待があったわけではないのだけれど、それでも、どこかに希望を持っていたのか、落ちたという事実にプライドが傷つけられたのか、美術室を出た後、教室のドアを開けにいくことができなかった。
落ちたということを他の生徒に知られるのが嫌だったというのもあると思う。
で、しばらく廊下に立ってうだうだしていたら、美術室から担任が出てきて、教室に入りたくない気持ちを察して代わりに次の人を呼びにいってくれた。
自分は担任にトイレに行くと伝え、渡り廊下の先にある図書室に向かった。
図書室には司書の先生が一人でいて、どうしたの? と聞かれたので、前期落ちちゃったと明るく言った。
中学生なりに、気を遣っていたみたい。
気分だけは泣きたい感じだけど、でも涙が流れるわけでもなく。
先生と話をしたのはほんの少しだけの時間だった。
すごく励まされたり慰められたりしたわけでもないのになんだか救われたような気がして、お礼を言って教室に戻った。
一緒に受けた友だちがみんな落ちているのがわかって、逆に盛り上がってしまった。
それで、何も無かったかのように、後期試験のための勉強がまた始まる。
あの時、図書室があってくれて、司書の先生がいてくれて、本当によかった。
今、自分が学校司書をしていて、多感な高校生を相手にしていると、ときどきふとその時のことを思い出す。
一人でも、二人でも、自分も誰かにとってのそういう存在であれたらなと思う。
子どもの頃に大人にしてもらって嬉しかったことや救われたことは、全く同じやり方でなくても、何らかの形で今度は自分が周囲の若者にしてあげたい。
もちろん、へんに干渉するような感じではなくって。
でも、実際にそういうことができる立場になってみると、なかなか難しいということもよくわかってきた。
やさしさの押し売りがしたいわけじゃない。
一月も今日でおしまい。
今年度の終わりが見えてきた。
念願の高校の司書になって、やりたかったことができたかというと、そうでもない。
まだまだという気持ちが強い。
今の勤務校であと何年働けるかもわからない。
力みすぎずに、でも、もうこれ以上は無理というくらいできることをしたい。
あの時の自分が前期試験に落ちていてよかった。
上手くいかなかったあの日も、今は愛しく思える。